数十年前の寮友とともに会津の地に遊ぶ

大内宿・塔のへつり・湯野上温泉駅から芦ノ牧温泉へ

もう数十年前にもなるが、大学生の時、4年間学生寮で過ごした。1年生の時同室だった旧友と、久しぶりに会津の地で会うことになった。裏磐梯高原に行ってみたいという一人の希望に添って、ここに集うこととなった。
 
 新幹線郡山駅から磐越西線に乗り換えて「猪苗代駅」に降り立つ。看板に明治32年創業とある。   駅前に野口英世、母シカ、恩師小林栄の像と、福島出身の友が待ち受けてくれていた。
 会津といえば、鶴ケ城や飯盛山などが第一の観光ポイントだが、その会津若松を素通りして、うまい蕎麦を食べさせるからと、「大内宿」まで直行する。ここは 日光の今市から会津若松に通じる旧会津西街道の宿場町。江戸時代の宿場の雰囲気をよく残しており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。会津藩や新発田藩、村上藩、米沢藩の参勤交代の通りとして、また物流の道として重要な街道であった。この街道は2代秀忠の四男の会津藩主保科正之によって開かれたそうだ。大内宿の大根おろし蕎麦は「高遠蕎麦」といわれ、正之が育った信州高遠にちなんでそういわれるよし。
 
 500m程の広い道路の両側に茅葺の民家が50軒程が軒を連ねている。電柱と車がなければ江戸時代そのまま。   茅葺屋根の維持は大変だから、すっぽりとトタンを被せた家や瓦葺きにして、屋根の形は維持してはいるが。 
 
 トタンや瓦屋根が増えていったら、景観の価値は低下するだけ。新たに茅を吹き替えた家もあり、地区ぐるみで景観を守るのは難しいが、何とか旧態を維持してほしい。    「三澤屋」の蕎麦で昼食。茅葺き、土壁、戸障子、薪、高い梁と、江戸の民家そのままが嬉しい。蕎麦を食べるのに屋外で順番待ちで、いっそう美味しく味わえる。
 
 囲炉裏ではおばあさんが炭火で岩魚の塩焼きをしていた。一家総出の客のおもてなしだ。    名物「葱蕎麦」葱を箸代わりに、齧りながら食べると云うが、蕎麦が滑り落ちてしまうので箸で。美味かったよ。
 
「本陣」街並み展示館に修復中。一軒だけ街道に向かい、玄関を突きだし、部屋数もずっと多いようだ。     高台から大内宿の全景を望む。ここからだと茅葺き屋根だけが並んで見える。
 
 宿には民宿が6軒、食堂が10軒、ほとんどの家で土産品を売っている。わらぞうり、蕎麦枕、栃餅、かき餅、蜂蜜   会津味噌、赤ベコ、下郷高菜、椎茸、山葛粉などは土地のものらしいが、「仙台麩」は場違い。 
 
左の石柱の歌は 高倉宮以仁親王の御詠歌として口承されてきたものだそうだ。

後白河天皇の第二皇子以仁王(高倉宮)は平家追討の兵を挙げるが、治承4年(1180年)に平等院で平家に討たれる。木津川市の高倉神社の境内には以仁王の墓と伝えられる陵墓がある。

そして、大内のここにも高倉神社があり、以仁王は信濃などを経由して逃げ延びてここに辿り着いたとも伝えられる。頼朝の謀略として以仁王東国生存説が流布したこともあったそうだが、まあ美しい自然に囲まれた「東の都」の大内に来たとしておいたって不都合はないだろう。

義経がモンゴルに渡ってチンギスハンになったという話もあるし、源氏に追討されて、あちこちの山間秘境に逃げ延びた落人集落もある。
悲劇の主人公は、簡単には死んでほしくないのが人情のようだ。
 宿の入り口に左の石柱が立っている。
 春は花秋は紅葉の錦山
   東の都大内の里     高倉宮以仁親王
 
 
 国指定天然記念物「塔のへつり」は、絵のような岸壁がみえるとあるが。   大川の岸壁が長い年月に浸食と風化でこの奇観がつくられた。 高さ30mくらいかな?
 
 木が生い茂って隠しているのか、更に風化が進んだのか五つぐらいしか見えない。    吊り橋を対岸に渡ると洞窟に虚空蔵様が祀ってある。「高松宮殿下御参拝」とあった。
 
 塔のへつりの下は「大川」、流れ下って阿賀野川となり只見川をあわせて日本海に注ぐ。   会津鉄道 会津線 湯野上温泉駅。日本唯一の茅葺き屋根の駅舎。 会津の山間によく似合う。
 
 湯野上温泉駅正面。待合室には囲炉裏もあった。赤い円柱形のポストも健在。    200円の記念入場券で構内へ。特に桜の季節にはカメラマンが殺到するとか。
 
 芦ノ牧温泉。路傍の「出会いの湯滝」
今は会津若松市。大小10軒の温泉宿がある。
   今宵のお宿「大川荘」大川(阿賀野川)の岸壁の上に建つ。玄関に女将さん達が勢揃いでお出迎えとは初体験。
 
 玄関にはいると、ロビーから一段下の浮舞台で津軽三味線の演奏でお出迎え。   阿賀野川を見下ろす空中露天風呂。大きな風呂で対岸の景色を見ながらのんびり浸かるのは「極楽極楽」。
 
 次々に出て来る料理はとても食べきれない。飲む友は
「我が社のビール」に舌鼓。昔話だけでも満腹だ。
   夕食後のアトラクション。細い棒状の杵で数人が餅を突いて搗く。宿泊者も交替で。きな粉餅にして食べた。
 
 宿では遠い昔話が出てきた。とっくに忘れていたエピソードの数々、それぞれが密かにあこがれたマドンナの話、消息不明の友人や既に鬼籍に入った友人達、半世紀の間の様々なことも話題に上がった。  高齢者の集まりでは、つい病気の話が主流になりがちだが、そんな話が出なかったのは何よりだ。

つづき

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