熱海・湯河原へ観梅の旅1 熱海
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駅発のバスからどんより曇った海に初島が浮かんでいた。 | 途中、「金色夜叉」の「お宮の松」の傍らを通り過ぎた。 | ||
熱海梅園は明治初期、「国民の健康の元をつく作るのには温泉と自然に親しむことが第一」という提言を受け、熱海の豪商らが1885年に山林2.5haを開き、梅、松、桜、桃、楓、柳など3000本植えたのが始まりだそうだ。 | |||
駅から十数分で満員のバスを降りると、ここも人盛り。 | 梅園は小さな流れを挟んで両山裾に広がる。 | ||
ここは早咲きの梅を中心にして、当初100種3000本が植えられたとか。それでか、この日の花はもう盛りを過ぎていた。 | |||
「梅見の滝」梅の花越しにちょこっと滝が見えた。 | 梅園には五つのこんな橋が架かって遊歩道を繋ぐ。 | ||
たくさんいたと思う梅見客はどこへ? | 梅が香にのつと日の出る山路かな ばせを | ||
塀の中も外も梅園です。 | 右の白梅は貫一の梅、左の紅梅はお宮の梅だって。 | ||
熱海は東京に比して温きこと十余度なれば、今日 宮は母親と連立ちて |
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輪の曲芸を披露中。客は皆寒そうに。 | お猿さん奮闘中。その芸のいじらしさのこと。 | ||
蝋梅が花盛り。 | 呉服枝垂(くれはしだれ)も花盛り。 | ||
韓国庭園は、 2000年9月、森嘉朗首相と金大中大統領の首脳会談の際梅園を訪れて歓談、この会談を記念し、日韓の永久の友好を願って、朝鮮時代の伝統様式と手法を取り入れて韓国の作業者により造園された。 | |||
朝鮮時代中期の四柱門。 | 「堂」朝鮮時代初期の様式の貴族の隠遁生活の場。 | ||
堂の内部。家具類も韓国寄贈。台所や使用人部屋もある。 | 瓦張り土塀。石積みの塀もあった。朝鮮時代の様式。 | ||
馬酔木も早咲き?。 我が家の馬酔木は蕾も見えない。 | 馬酔木に似てはいるが、別の植物?? | ||
かずかずのなじみ深い歌を作曲した中山晋平は、昭和10年2月、熱海市の西山町に別荘を構える。昭和19年、熱海に疎開。昭和27年、熱海で亡くなる。その別荘の建物を日本ビクターから熱海市が寄贈を受け、中山晋平記念館を開設。 ... | |||
二階建てと思ったが、なにやら三階建てかな? | 自筆の楽譜、年賀状、晋平カルタ、銀座柳の碑の拓本。 | ||
昭和27年、熱海で亡くなるまで愛用していた蓄音機とピアノ。数々の曲をこのピアノから生み出したのだろう。 | |||
中山晋平追悼碑。 譜面は何という曲かな? | 梅林遠景。遠景の野山も含め、まさしく早春の景。 | ||
熱海駅前に足湯があった。何人も利用していた。 | 熱海桜。インド原産の寒桜。 1月末~2月中旬が桜祭り。 | ||
駅前で情けないような昼食のあと、東海道線を一駅東へ、湯河原に向かった。 |