海を眺めに房総へ
|
|||
内房線浜金谷駅に降り立つと、人々はみな同じ方へ? | 駅から100m足らずの金谷漁港を横目にロープウェイの駅へ。 | ||
標高差223m、長さ680mをロープウェイは登る。満席。登るにつれ、険しい山肌や東京湾を見下ろす空中散歩も 僅か4分程。 | |||
鋸山は上総と安房の境に位置する凝灰岩の300m余の山。岩の採掘が続けられたとか。ここには聖武天皇勅願で行基が開いた乾坤山日本寺の境内が広がり、山腹の各所に堂や像などが点在している。そのうちの一つだけを訪ねた。 | |||
石ころの急な坂道。この路を飛ぶように降りていく強者も。 | 長い長い階段。一歩一歩手すりにつかまりながら。 | ||
弘法の護摩窟。「千年香烟薫る」 | 阿羅漢の鉢の中より雲雀かな 一茶 | ||
文化5年3月、一茶参拝。坂本は袂の下ぞ夕雲雀など、7句を残す。 漱石や子規もここを訪れ、それぞれ一文を残すとか。 | |||
薬師瑠璃]光如来。日本一の大仏様。身の丈31m余の磨崖仏 | お願い地蔵尊。背後は願う人が納めた小さな地蔵の山。 | ||
険しい坂道の傍らには、11月も末というのに、草花が疲れを癒やすように咲いていてくれた。ここは下界よりも暖か?? | |||
鋸山山頂。標高329m。爺さんがやっと辿り着いた! | 東京湾の海も眺めたよ! | ||
境内には千五百羅漢、百尺観音、薬師本殿などの他、地獄のぞき、十州一覧台、不動滝などがあるそうだが、もう歩けない。 電車に戻り更に南へ。館山で乗り換えてお宿のある千倉までおよそ一時間ほど。 |
|||
千倉に着く前の車窓の風景。千倉で日没を! だが遅かりし。 | 千倉海岸温泉「夢みさき」洋室。和室計35室。 | ||
部屋の展望風呂。浴槽からは海は見えなかったが、海の気を感じながらの入浴は贅沢だ。 | 夕食は地魚の他A5限定黒毛和牛などを素材にした和食創作料理コース。そのほかにバイキング料理をご自由に。ムリムリ | ||
宿から800mほどで海岸。「あの突端は」散歩の人に聞くと「小湊かな?」砂浜の広がる処は海水浴場。監視塔やトイレもあった。 | |||
ユッカ蘭? | 水仙。 | ||
朝食はバイキング。小食の私にはちょっと欲張りかな? 内陸暮らしには海を見下ろしながらの食事は何よりもの贅沢だ。 | 宿の人々の実に気持ちのよい応対振りに感謝して千倉駅へ。 この宿は私の推奨第一番の宿、自信を持ってお薦めします。 |
||
千倉からまた館山で乗り換えて五井へ。駅前の観光案内所で資料を貰い、昼食後タクシーに乗る。 | |||
鳥居には「総社」本殿には「戸隠神社」。総社は国内のすべての神社を勧請して建立。その後身が戸隠神社となる。 | |||
医王山清浄院国分寺仁王門。上総国国分寺の寺域に建つ。 | 国分寺薬師堂。 | ||
上総国国分寺は南大門、中門、金堂、講堂が南北に並び、回廊に囲まれた金堂前庭に七重塔、その他附属施設があった由。 | |||
将門塔。平将門の墓と伝う.。元新皇塚古墳の隣接地にあった | 上総国分寺西門跡。柱の位置を示す。 | ||
史蹟]上総国国分尼寺跡展示館。入館無料。発掘した瓦、器、工具……、説明資料が並んでいた。 ところで国府は何処に?? | |||
復元された回廊が中門と金堂を結び、中庭を一周する。 | 金堂。 背後に講堂、尼坊につながり、経楼、鐘楼のあった由。 | ||
上総更科公園。芝生広場、池、スケートコート、軽スポーツ広場、遊び広場、水遊び場なども。 「更科」公園って? | 菅原孝標女像。道路の分離帯に立ち、市原から遙か憧れの京を目指して旅立ち。女(むすめ)というだけで名前がないの?。 | ||
東路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ…十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。…
(菅原孝標女:更級日記) 父国司菅原孝標の任期が終わり、帰京する父と共に憧れの京に上ることから晩年までの回想録。 |
|||
観光案内所で昼食の店を聞いたら、駅の直ぐの店を教えてくれた。立ち食いの店だ。530円だかの掻き上げ蕎麦の昼食。財布が軽いと見破られたのか、最寄りということで選んでくれたのか?? 旅の昼食の最低値の記録達成! でもおいしかったよ。 |