南房総に春の海を尋ねる
 

 暖かな陽気に誘われて、房総は一足早く春が訪れ、草花も咲きそろうとか。そんな南房総国定公園の海岸線を館山から白浜、鴨川、勝浦、御宿と廻って、海を眺めてきました。
 
 東京駅から特急「さざなみ5号」に乗り、東京湾沿いに内房線を行く。この特急は指定席4両、自由席6両の」10両編成で館山まで走る。64坐席の車両に乗客は5人、隣の車両は3人だけ。自由席はもう少し多いのだろうが、この無駄使い。
 
 1時間57分で館山駅に着いた。スペイン風な?おしゃれな駅舎で関東の駅百選に認定されているそうだ。食事の場所がなく、回転寿司人生初体験。   急な坂道を息を切らしながら標高74mの城山に登り、館山の街並みを眺める。別な道だと車で登れるのだがあとで知った。 
 
 館山城は、天正18年(1590)夏、里見氏9代の当主義康が築いた名城。天正16年築城にかかり、 2年半を費やして竣工、館山城と命名。城郭、堀、楼閣、武家屋敷、城下町など、計画造成され、城は地積約43万㎡(約13万坪)の平山城であった。館山城は房総里見氏の居城として、鏡ヶ浦湾頭にその威容を誇ること27年、10代忠義の時、外祖父小田原城主大久保忠隣の罪科に関係ありとして、安房国を没収、伯耆国倉吉に国替)されるとともに城は破却された。(解説抜粋)  
建物は天守閣を模した博物館。八犬伝関係の資料などが多いそうだが、入館しなかった。
 
 真下には館山港。その先は海ほたるの生息するという館山湾(鏡ケ浦)。左端奥は相模湾だって。    富士山、箱根山、丹沢山、三浦半島も望めるそうだが、この日は見えない。
 
 八遺臣の墓。里見十代忠義が倉吉で29歳で亡くなったとき殉死した家臣の墓。南総里見八犬伝の八犬士のモデルともいわれるそうだ。    梅、椿、桜、ツツジ、さつき、あじさい、山茶花などの花木も植えられ「万葉の径」や「つばきの径」もあり、桜は名所の一つ。日本庭園と茶室もある。
 
 海岸に沿って伸びる257号線を西に向かっていくと、相模灘に向って突き出した岬の洲崎灯台に出会う。灯台元の民家は庭先が有料駐車場。おばあさんが縁側で日向ぼっこをしながら受付係。   洲崎灯台。無人。大正8年に点灯され、灯の高さは地上頂高15m、海面上45mの白色円形の灯台。「付近は無霜地帯で、真冬にも花が咲き乱れている美しいところ」というが、どこにあったのだろう。 
 
 房総半島最先端の洲崎灯台の眺望。夕日や 富士、天城、大島などを一望にできるとか。あの遠くの陸地は伊豆半島かな? 灯台の真下は磯になっていて、何人かが遊んでいた。 
 
洲崎から 安房白浜にむかう257号線は「房総フラワーライン」道の両側に、続く限り今は菜の花が植えられている。 白浜フラワーパークに立ち寄り珈琲で一息つく。この一帯は南房総国定公園で、ここはポピーや菜の花・ストックなどの花畑や、足湯、体験コーナーもあるとか。
 
菊池幽芳の小説「己が罪」文学碑。若い時に誤って子供を産んだ環が、子爵夫人となり、子爵との間に出来た子と、以前に産んで今は漁師の子となっている二人を、同時にこの兜岩の海で亡くし、一切を夫の前に懺悔するというとかいう新聞小説。何回も舞台や映画化され、世の人の紅涙を絞ったという。 
 
   若山牧水根本海岸でうたへる
  白鳥は かなしからすや 空の青 海の青にも 染ますたたよふ
  山を見よ 山に日は照る 海に日が照る いさ唇を君
  大島の 山のけむりの いつもいつも たえすさひしき わか心かな
牧水は明治40年下旬、恋人小夜子と 根本海岸を訪れ正月を過ごす。  

海は広いな大きいな……、山国育ちにとっては何とも魅力的で、岸辺に佇んでいては飽きることがない。 

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