我が家の今年のお正月
お正月といっても、万事簡素化で段々と素っ気ないものになってきました。それでも、市販の松飾りを玄関前に飾り、玄関には何流か知らないけれど、生け花を飾ります。床の間には、三方に載せた市販の小さな鏡餅を飾り、いえお供えます。どうやらこれでお正月らしくなります。

30年前には、竈をしつらえ、薪を燃やして餅米を蒸し、音も高く木の臼で餅を搗いつこともありますが、そのうちに自動餅搗き器が登場、多分10年ほどはこの機械に頼っていたと思います。その後の何年かは近くの菓子屋に委託して搗いて貰いましたが、それがいつの間にか、市販のパック入りの餅へと変わりました。万事簡素化というわけです。

正月料理もかつては昆布巻や田作り、松前漬け、ナマスなどは手作りのものでしたが、最近は万事簡略に市販のものでまかないます。普段の食事とさして変わらない簡素なものです。子どもの頃の大晦日は、「おとしとり」と称して一年で最も豪勢な食卓だった気がします。尾頭付きのほか何があったか思い出せませんが。

元旦の朝は、定番のお雑煮です。味噌味など各地で様々なお雑煮があるそうですが。郷里の雑煮は野菜や蒟蒻の細切れごっそりの醤油味でした。おいしいとは思ったことはありませんでした。我が家のお雑煮は鶏肉のだしのすまし汁です。元旦はお屠蘇が必須で、例年、下戸もお正月だけはお付き合いしましたが、今年はとうとうそれも省略でした。

大晦日はこの日ばかりは夜更かししても叱られず、歳が明けるのを待ち構えていて、新年の賀詞を述べ、「歯固め」といって、お茶を飲みながら、栗、乾し柿、豆、するめ(ここの記憶は曖昧です)を食べました。一年の健康を願う行事だったのでしょう。これは遙か遠い昔のこと、今では何もせず、私は紅白も除夜の鐘も関わりなくぐっすりと夢の中です。

元旦には数百メートル離れた鎮守様へ初詣に行ったものですが、信仰心のかけらもない私は今年も炬燵の中。でも、来訪中の弟と子どもや孫は連れだって出かけて行きました。特別著名な神社ではありませんが、なんでも参詣人が二、三百メールの行列で参拝待ちをしていたそうです。世の中の有様を反映して、神仏の力を借りたい人が多くなったのでしょうか。貸してくれるなら、私も是非とも借りたいものです。

お正月の遊びは、昔も今も楽しいものです。子どもの頃は百人一首が楽しみでした。家族みんなで散らし取りをしたものです。今年も始めましたが、小学生の孫が歌を覚え、お得意札もあるようです。何年振りかで来てくれた弟も、百人一首はお手のもののようで、手加減しながら孫のおつきあいをしてくれました。私は全く歯が立ちませんでした。それは歌は覚えていても(それも怪しくなりましたが)札の位置が全く覚えられません。たまたま視線の先の札が読まれたら取れるだけでした。この他、単純なトランプゲームや花札、双六、盗人将棋なども興じました。これは記憶力に関係がないので、ぼけ老人も興じました。

何十年前には、日本各地の様々な凧を自作して、子どもと共に近くの川の堤防で揚げたものですが、もう何年も凧揚げはしません。堤防に立っても凧の姿はなく、もあちこちの電線に絡んだ凧も、今は全く見かけません。そういえば、羽根突きの甲高い音もこの頃は聞こえてきません。今は、暖かな室内で、ゲーム機に夢中なんでしょう。子どもの世界も時代について行かないと大変なんでしょうね。

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