歌のふるさと
子どもの頃から今日までの間に、一体何曲の歌に親しんできたことでしょう。数えたら相当の数になりそうです。この程、旅の写真をめくりながら、歌の生まれ故郷――ゆかりの地を集めてみました。歌のふるさとを意識して旅をしたのではなく、たまたま歌にゆかりの地に行き着いただけですが。

歌は作詞家と作曲者の共同作業です。詞と曲と相俟って名曲として歌い継がれるのでしょう。歌のふるさとを考えると、どこのどんな情景から詞が生まれたのかということが「ふるさと探し」となるのでしょう。多分、作曲者は主に歌詞から曲想を沸き立たせているのでしょう。                                     ご存じ「荒城の月」の詩碑は仙台の青葉城と会津若松の鶴ヶ城の二カ所にあります。青葉城は晩翠の住まいから二キロほどの散歩範囲ですから、しばしば訪れたでしょう。ここから詩想を得たというのは納得できます。鶴ヶ城は? 昭和21年、会津高女で晩翠が講演した際、荒城の月は高校の修学旅行で訪ねた鶴ヶ城を連想して作詞したと話したそうです。さてどっちっでしょう。と、詩人に問いかけるのは愚の骨頂でしょうが。荒城の月は春と秋の情景が詠われます。高校生は修学旅行で酒宴はしないでしょう。いや、それは単に詩想の中で浮かべただけだ……。私が軍配を上げるとしたら、仙台でしょうか。講演の話はリップサービス? 本当にそうでしょうかと問い返すとき、詩人の脳裏に蓄えられた様々な情景などから、一つの作品として誕生したのでしょう。

「春の小川」のふるさとも二カ所ありました。東京小田急線代々木八幡駅近く詩碑があるそうです。大正時代、渋谷川の支川の河骨川の近くに、高野辰之の一家が住んでいて、子どもを連れて河畔を散歩していたとか。現在はすっかり市街地に変貌し、川は地下を流すようになったとか。今では、とうてい歌のイメージには添わないのでしょう。もう一つは、辰之の生まれ故郷長野県中野市。今も自然豊かな静かな農村で、生家から少し離れて流れる斑川という文字通り小川のほとりに詩碑があります。訪れたとき「さらさら」と流れていました。近くには「朧月夜」の鐘、兎を追った「かの山」小鮒を釣った「かの川」などもありました。

「浜千鳥」のふるさとも二カ所ありました。一つは千葉県南房総市。作詞者鹿島鳴秋が、家族ともども移り住みました。病の愛娘は療養の甲斐なく亡くなり、娘を偲んで「浜千鳥」が生まれたそうです。もう一つは新潟県柏崎市。大正8年、鹿島鳴秋が友人を柏崎に訪ね、二人で海岸を散歩しているとき、鳴秋が手帳に書き記したのがこの詩だそうです。この翌年に雑誌で発表され「世間に流布」したそうです。
                                       「夕焼け小焼け」は作詞の中村雨紅のふるさと八王子が舞台だそうです。ところが「山のお寺」というのに三つの寺が名乗りを上げて、本家争いが暫く社会の話題になったとか。雨紅さんは三つともみんなそうだと、大人の裁断で幕とか。夕焼け小焼けの詩碑は、長野市の往生寺という寺にもあります。善光寺よりも小高いところにあり「山のお寺」のイメージぴったり。ここの鐘が作曲家草川信の「夕焼け小焼け」の作曲のモチーフになったそうで、作詞の中村雨紅の筆の詩碑がありました。市内の阿弥陀堂というところにも詩碑があり、ここもモチーフになったのだそうです。

具体的な地名があれば別ですが、芸術家の頭にまで入り込んで争う、大人げない本家争いは今はなく、それぞれの地で観光資源にもなって、地域振興のお役に立っているのなら、めでたい限りです。探せばまだまだたくさんの「歌のふるさと」があるのでしょう。でも、それらを尋ね歩くことはできないな。折に触れて口ずさむ楽しみは堪能していますが。

歌のふるさとは全国の各地にあるのでしょう。ご存じの方は是非お教えください。できたら訪ねたいものです。

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