音楽が聴けなくなった
この頃、音楽を聴くことができなくなった気がします。聴こうともしなくなったと言うべきでしょうか。生活の中から音楽が全く消えてしまったのです。

若い頃には、乏しい財布からやっとの思いで何枚かのレコードを買い求めました。中古のプレイヤーも買ったのです。でも、レコードを何回も繰り返してかけると言うことは惜しくてできませんでした。大事に持ち続けてきて、今でも100枚ほど持っていますが、何年も聴くことはありません。
そのうちに、ラジカセが登場し、音楽だけでなく気軽に様々な使い方ができるようになりました。ラジオ放送から録音したりするなど、テープが増えていきました。そのラジカセも故障したりして消えて行き、今では我が家には一台もありません。コンポのテープ機能も故障したままです。残されたテープ80本は廃棄するばかりです。
ラジカセに代わり、MD・CDラジオを使うようになり、大事なレコードやテープはコンポでMDに録音して、気軽に何回でも聴くことができるようになりました。この簡便なMDも、今では製造中止とか。500枚ほどもあるMDも、今使っているMD・CDラジオが故障すれば、廃棄するしかありません。全部はとてもできませんが、廃棄を惜しまれるものは、パソコンで録音してCDにしています。多分、CDの命はまだまだ先まで続くでしょうから。

今は気軽に持ち歩ける音響機器があるようで、その中に音楽データを保存したり、コンパクトなSDやUSBなどで持ち歩けるようです。電車の中でもよく見かけるイヤホン姿の人はそんな物を利用しているのでしょう。一方、消えたと思ったレコードは、アナログの音質にこだわるマニアなどに支持されて、今なお健在と聞きます。また、カセットテープも、特に高齢者の根強い愛用者が需要を支えているそうです。

機器は時代とともに様々に進化していくのでしょうが、一方退化していくものがある事に気がつきました。自分の好みの曲に出会うと、何回でも繰り返し聴くことがありました。20年か30年前頃には、ジャン・ミシェルの「軌跡」というシンセサイザーの曲は、何年続いたか定かではありませんが、毎晩床に入ると必ず聞きながら寝たものです。それよりもっと前に、ウーゴ・ブランコらのコーヒールンバという曲がお気に入りで、ドーナツ盤のレコードを針を戻しては繰り返し聞いたこともありました。これらの何十回は例外ですが、そのほか繰り返し聞いた曲は何曲もあります。雑食ですから、洋の東西を問わず何でも聴いていたのです。

パソコンでデータを入力して、自分の好みの器楽の曲を何十曲も作って楽しむなども夢中になっていたこともあります。しかし、気がついたら、いつの頃からか、音楽を聴くことを全く忘れていました。お気に入りの音楽も、新しい曲も、音楽番組も全く縁を切っていました。ふと気がついて、この程、大好きだった曲を改めて聴いてみたのです。こんな音楽だったのかと、少しも魅力を感じられません。何曲か聴いてみましたが、かつて自分の好みの曲だったことが不思議に思いました。
                                   
月日の経過と共に、自分の好みの音楽も変わっていくこともあるのでしょう。それにしても不思議です。あれこれと曲を取り替えながらしているうちに、やっと気がつきました。私の耳は、音楽を味わう力がなくなったのだと。高音域は聞き取れないし、曲の微妙な響きも聞き取れないでしょう。悲しいことに、人生の楽しみが一つ消えてしまいました。世間の人はどんな音楽をどのようにして聴いているのでしょうか?

この頃、思ったより暖かな日が続きます。おかげで随分助かります。
野菜の植え付けの準備を毎日少しづつしております。プランターの重い土も、いったん出して日光に当てて肥料を加えて植え付けを待ちます。十数個もありますから、一日にふたつか三つしかできません。畑は今年買った備中鍬で耕し畝立てをしますが、これも毎日少しずつ。実のなる野菜には溶燐を使うのだと物の本にあったので、今年から使うようにしました。成果が出るといいのですが。

ささやかな庭先に、福寿草に代わって深山苧環が咲き出しました。この花弁の深い色合いは私の好みです。

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