ちょっと亀戸と銀座へ
連休明けで、賑わったところもいくらか落ち着いた頃で、陽気もよくなっては、じっと家に閉じこもってはいられないと、半年ぶりに小さな小さな旅に出ました。テレビが亀戸天神の見事な藤の光景を放送したのを見ました。ここは予てから尋ねてみたいと思っていたところだったので、霜焼けの足を押して出かけてみました。もう藤の時期は過ぎていると思いましたが、思い立ったが吉日と腰を上げたのです。ついでに、郷里長野のアンテナショップが銀座にあると聞いていたので、信州の情報や風物に接してみたいと思い、足を伸ばしました。
秋葉原で総武線に乗り換え、隅田川を渡って間もなく亀戸に着きます。そこから上野公園行きの都バスに乗ると間もなく天神前。一緒にバスを降りたのは年配のご婦人達。鳥居を潜ると目の前に、広重の絵にも描かれる太鼓橋が見えます。尤も今の橋は木橋ではなく、コンクリート製。お目当ての藤はほとんど散っていました。一部分ですが色のあさせた藤の花がまだ残っているところもありました。そんな中を、テレビで見た群衆とは異なり三々五々境内を回っている人影もありました。菅原道真を祀る天神様は学問の神様。その力にすがるたくさんの絵馬もありましたが、多くの来訪者のうち、本堂の前に額づく人の姿は余り見かけませんでした。境内のあちこちにはたくさんの石碑も建っています。芭蕉、西鶴、中江兆民などの他、名も知らぬ人たちの碑もあちこちに。
亀戸天神から200メートルほどのところに普門院という寺があります。ここには、長塚節らと共に正岡子規の門に入り、のちに「アララギ」を刊行し、島木赤彦や斎藤茂吉らを育てた伊藤左千夫の墓があると聞いたので、足を伸ばしました。門を一歩入るや驚きました。参道の周りは木立が茂り、その根元にはなにやら様々な廃棄物らしい物が散乱しています。正面の本堂らしき建物がありましたが、扉は閉ざされ、何年も開けられたような気配もありません。脇の方の山林の先に墓地が見えたので行ってみました。なにやら工事をする人がいたので尋ねると直ぐ教えてくれました。

本堂の前に戻ってこの寺には左千夫の歌碑もあるそうで、あちこち探していますと、住職らしい人が通りかかったので尋ねると、本堂を指さし、指先を左に少し曲げただけで、無言で立ち去りました。示した方へ行って、歌碑を探しましたがありません。指を曲げた方向には木立の間には散乱したゴミがあるだけ。その中のどこかに歌碑があるのかしれませんが、もう探しようもありませんでした。この寺は亀戸七福神の毘沙門天を祀るので、さぞかし参詣者も多いのでしょうが、それにしてもまるで廃寺のような荒れ方は。

その後、亀戸から銀座へ向かいました。それは、銀座に長野県のアンテナショップがあると聞いていたので。亀戸から浅草橋で地下鉄に乗り換えれば直ぐ着くはずですが、田舎者の悲しさ、相互乗り入れの電車に戸惑い、何度か道を間違えたりして、長い地下道を霜焼けの足をかばいながらの乗り換えは大変でした。

話題の改築の歌舞伎座や新名所のGINZA SIXを横目に、柳通りからちょっと入ったところにアンテナショップ「銀座NAGANO」がありました。一階には長野産の特産品の販売店で、りんご、あんず、くるみ、蕎麦などの加工品を始めとした商品が店内一杯。はじめ、店に入ろうとした時、立ち止まってしまいました。それは店内は買い物客で混雑していたのです。それで3階の蕎麦屋「真田」で昼食。4階にも行ってみると、移住相談とハローワーク。2階は観光案内と喫茶店。県内各地の各種の資料がありましたが、郷里の飯田の資料は見当たりませんでした。

働いている人たちも長県出身のようで、話しかけた人は同郷でした。日本橋から八重洲、有楽町から銀座、新橋にまでの一帯に、東京とその隣接県をのぞいて全国のアンテナショップが点在しているそうで、ここへ来れば旅をしたような気分を味わえるかもしれません。

なるべく歩かないようにと思いながらも、結局歩いてしまい、この日の歩数は一万歩を越えました。大変疲れましたが、久しぶりの小さな旅は十分堪能しました。

粗雑なアルバムです。

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