下駄を買う
特別の考えがあったわけではないのですが、先日下駄を買いました。なんとなく久し振りに履いてみたかったのです。素足に下駄を履いて音を立てながら闊歩する子どもの頃の姿を思い出したのです。浴衣掛けで下駄を履き、団扇片手に夕涼みという構図は私の経験の中にはありません。そういえば、たしか旅の温泉地で宿の下駄を借りで散策した経験だけはありますが。

なかなか他人には信じて貰えないでしょうが、私は35℃を超す猛暑が続く現在でも、足の指の霜焼けが治りきりません。見た目には冬より改善されてきましたが、指先の軽い痛みと、湯に触れると痛みを覚えます。それで、今でも毎日飲み薬と塗り薬が欠かせません。塗り薬をぬると、包帯代わりに靴下を履きます。風呂、いや風呂は38℃なら入れるように成りましたが、この時期はもっぱらシャワーで済ませます。このシャワーの時だけは、まさか靴下のままとはいかないので脱ぎますが、23時間なにがしは、寝るときも含めてずっと靴下のままで過ごしています。こんな折り、下駄履きの漫画を見て、子どもの頃の下駄履きの生活を思い出したのです。靴下を脱ぎ、素足で歩いてみたいものだと思いついたのです。

そこで、職業別電話帳を開いて、履き物のページを見て「下駄」を探すと、市内に3軒の店が掲載されたいました。外出のついでにそれらの店を訪ねてみました。表通りの一軒は、以前から廃業ししたと聞いた気がしたのですが、念のため寄ってみると、靴の棚の片隅に少し並んでいました。でも、女性用の下駄やサンダルで、私がイメージする下駄はありません。残りの2軒も訪ねて見ました。最初の店は「……下駄店」と看板はそのままですが、既に廃業。下駄の時代はすっかり過去のものとなったのでしょうか。かすかな望みを抱いて頼みの綱のもう一軒は「……履物店」。だいぶ古めかしい店舗です。外から覗くと隅の方に下駄が見えました。案内を請うとなかなか人が出てきません。次第に大きな声で何回も呼んでみました。
                                        諦めて帰り掛けようとする頃、奥の方からおばあさんが出てきてくれました。ここも靴やサンダルが8割ほどを占め、下駄は2割足らず。並んでいるのを見るとその中に、子どもの頃のなじみのような下駄がありましたので、一足買いました。金3000円也。私が買い求めた下駄の材料は外材で、どこで作られたかは不明とのこと。大分県の日田では外材を使って下駄を作っているから、大分かもしれないし、或いは中国産かもしれないという話でした。日本にいて外材の中国産の下駄では履く気が薄らぎます。日田産と信じたいものです。
また、珍しい下駄もあります。天狗が履くような一本足の高下駄です。まさか天狗が買いに来るわけもなし、どんな人が買うのか聞くと、普通の人ですとのこと。私のバランス感覚ではとても履けません。もう一つ、懐かしい下駄もありました。これは二本足の高下駄です。高校三年間をはき続けてきた下駄です。「朴歯の下駄」に破れ帽子、汚れ手拭いが私の高校のファッションだったのでしょう。高下駄はこの地でも旧制中学生の愛用品だったそうです。話し好きのおばあさんは、下駄の買い物客は珍しいのでしょうか、次々と話が続きます。上州から出てきて開業90余年、大正時代から続けているなどなど。釣り銭を貰って帰ろうと腰を上げること3回、やっと釣り銭を貰えました。

足を締め付ける靴などと違って裸足で履ける下駄は開放的でとても気持ちはいいけれど、今の道路やせわしい世の中では過去の遺物になっていくのでしょうか。当地にも、下駄製造を営んでいたところがありましたが、いつの間にか廃業。津軽、会津、結城、木曽、日田など、各地にたくさんあった下駄の産地も今はどうなっているやら。私の買った下駄の足を載せる面にはニスが塗ってあります。歯の部分にゴムを貼り付けた下駄もあるとか。いろいろな工夫はしているのでしょうが、やがて庶民の生活から消えるとしたら寂しい話です。

買い求めた下駄はまだ履いたことはありません。履き出すにはちょっと勇気がいるからです。

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