ここは恋人の聖地
寒さに縮こまって、家に閉じ籠もっていましたが、先日、嬉しいことに、毎日吹き荒れる西風もなく、日差しも暖かいので、自転車の足をちょっとだけ伸ばして、栃木県野木町まで行ってみました。そこには明治時代から昭和に掛けて煉瓦を製造していた大きな窯が保存されています。遠くからでも望める高い煙突を目印にのんびりと自転車を進めました。

やがて行き着くと、国指定重要文化財の巨大な窯だけが目に付きます。その中央からは高い煙突が聳え立っています。傍らに町の交流センターがあり入ってみました。すると眼の前に「恋人の聖地選定証」が掲げられて、煉瓦窯&ハート池が地域活性化支援センターというところが「申請より」選定したそうです。窯が聖地? 不思議に思いました。帰宅後改めて資料を見ると、認定証には「煉瓦窯&ハート池」が指定の対象になっています。窯の所在地は、ラムサール条約の登録湿地の渡良瀬遊水池に接しており、そこには地図で見ると確かにハート型の人工池があります。「ハート」だから「恋人」なのでしょう。でも、ここの窯のあるところの恋人の聖地にふさわしい物は? やはり窯なんでしょうか、多分、煉瓦を焼くほどに熱い想いが燃え立つのでしょう。この日出会った訪問者は年配の夫婦一組だけで、見回してもカップルの姿は見かけませんでした。                              交流センターには資料展示室やレストランなどがあり、事務室に見学料100円で申し込むと、貸与されるヘルメットをかぶって窯の見学をしました。順路にしたがって、窯の内部に立ち入りします。窯はすべて煉瓦造りのようです。この煉瓦はここで作られた? そんなことはあり得ません。当時、煉瓦製造所は深谷など何カ所にもあったそうで、そんな煉瓦なんでしょう。この窯はドイツ人技師ホフマンの設計の正16角形。中央に高さ35mという煙突が漏斗を伏せたように立っています。周囲100mで、16の焼成室に分かれ、順々に焼いていったそうです。「一室で14000個、全室で約22万個を23日間」で焼いた由。

原料の粘土や砂は傍の渡良瀬川の遊水池から採取したそうで、窯の立地の条件だったのでしょう。それに、煉瓦の製造には、材料の採掘から運搬、成型、焼成……、様々な作業が必要であり、ほとんど人力で行われたようです。その労働力は、近隣からかき集めた貧農を雇い入れたのでしょう。窯の直ぐ近くの貧農に里子として預けられたことのある作家若杉鳥子は、その作品「梁上の足」に次のように書いています。
”……野の中に蛇の目傘を拡げたようなドーム形の屋根が三つ、青麦の波の上に浮かんでいる。そこは下野煉瓦製造工場。……間断なく切り出される大きな羊羹のような長方形の土塊は……手拭を冠った女達の手で、一箇一箇と筵の上に並べられた。……子供達は土担ぎの真っ黒な人夫の群の中から若い父親を見つけ出すと……”この里親もやがて親を見捨てて東京へ移住するーー日本が近代化へと急激に進む激動の時代に飲み込まれていく一家の姿を見つめています。ここで働いていた多くの労働者も、似たような道を歩んだのかも知れません。

帰り道の途中に国登録文化財の「新井家ふるさと記念館」へ立ち寄りました。製糸所を経営していた当時の倉庫に、各種の資料がぎっしりと陳列してありました。繭をはじめ選別器、孵化器、糸繰り機など養蚕関係の道具をはじめ、秤、桶、蒸籠、火鉢……生活用具など、明治から昭和の時代を映す様々な品物の中に、久し振りに見た懐かしい物も幾つも。館長が一つ一つ説明してくれるのですが、所用のため途中で失礼しました。この記念館の建物は、近くの煉瓦工場の規格外の煉瓦を用いて建てたそうです。

私にとっては、本当に久し振りの外出のような気がしました。温かになって、遠くまで出掛けられる日が来るのを心待ちにしています。

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