高校の同期会に誘われたが
この程、高校の同期会の総会の案内が届きました。高校での友人も今は数少なく、折角案内を貰ったのに欠席することにしました。それは、いい加減だった自分の高校生活に触れたくないからでしょう。恥を忍んで、その生活をちょっとだけ振り返って見ました。

高校進学は人生の大事な選択であるのでしょうが、わたしには何だったのでしょうか。中学校卒業を間近になって、高校の入学試験があるというので、私も何の考えもなく受験しました。兄や姉たちはそれぞれ進学していたので、私も進学するのが当たり前のように考えていたのかも知れません。受験について、家族の誰にも相談もしませんでした。幸か不幸か合格して父親に話し、授業料、教科書代、通学定期代がかかることを言うと、「そんな金がどこにあるんだ!」と叱られました。入学試験に合格して親に叱られた人は、きっと日本中で私一人でしょう。勿論、一言つけたしては費用は出してくれましたが。

中学校までは予習復習をしたことがありません。「勉強は学校でやるもんだ」と、帰ってくると田畑の仕事の手伝いです。手伝いをしても、夕食後なら勉強の時間はあったのですが、やった記憶が全くありません。テレビもラジオもない頃です。何をしていたのでしょうか。2年生頃から、教科書代を父親に話すのをためらい、全部の教科書はありません。ノートもなしでは復習のしようもなかったのでしょう。試験はいつもぶっつけ本番だったとすれば、その結果は自ずから明白だったのでしょうね。

高校では、いつ頃からか忘れましたが、なんとなく社研(社会科学研究会)という部に加入しました。屋上に小部屋があってそこが部室でしたが、その小部屋が魅力だったのでしょう。そこで何を研究したかというと、活動らしい活動は全くしませんでした。ただ、上級生が教えてくれたのは、ロシア民謡だけです。休憩時間ごとに部室に集まって、なんと言うこともない話をするだけでした。そこには、それぞれに異色のある人物が集まっていたのでしょう。哲学部も同居していた筈です。そこでのとりとめのない会話が魅力で、休みもせず通学していたのかも知れません。その仲間も今では全く消息は分かりません。

お古のぼろ鞄に教科書と弁当を詰めて通学することが気になると、風呂敷に包んで通学。いつの間にか、教科書は部室に置いてそこから教室に向かうようにしました。そのうちに、弁当包み一つを持って行くのも億劫になり「昼飯を食わんでも死にはしない」と、全くの手ぶらで通学する、前代未聞のいわば不良生徒だったのでしょう。でも、授業をサボった記憶はありません。何人か魅力的な教師がいました。なかでも漢文の先生が朗々と読み上げる漢詩には聞き惚れたものです。一般社会、世界史、国文の先生も……、それぞれに個性豊かな先生が多かったのでしょう。サボる気など起きませんでした。ただ、ノートを取る習慣は小学生の時からありませんでしたが、話だけはしっかり聞いていたように思います。一番前の席で、教科書もノートもなしに、先生の話を聞いていた私に気づいた世界史の先生は、唖然とされ「君は世界一の高校生だ」と叱正もされませんでした。

勉強らしい勉強はほとんどしなかったと思うのですが、ただ、図書館の利用率は多かったと思います。といっても、図書室で本やノートを広げて勉強したことは一度もなく、ジャンルを問わず本の貸し出し受けて、読みふけりました。多分私が一位かな? たくさん読んだのに、今記憶に残っているのは、僅か2冊。花袋の「田舎教師」と著者不明ですが「死刑廃止論」

高校生活で一つだけ、いい置き土産を残してきました。それは剣道部を創設したことです。当時、軍国主義の象徴として、剣道は学校での活動は進駐軍に禁止されていました。それが、「撓(しない)競技」なら解禁されたと新聞で見て、公称「撓競技部」、私称「剣道部」として入部勧誘の檄文を書き、能筆の友人T君に長さ3m程の用紙いっぱい、墨痕鮮やかに筆を振るってもらい、部員を勧誘したのです。けったいなこの部にはなかなか入ってくれないので、友人を無理矢理引きこんで発足しました。幸い町道場で「ほんもの」の剣道をしていたM君も入ってくれたので、彼を先生に屋上で剣道の型を教わり、かき集めの防具を着けて、運動会で披露しました。以来、今でも活動は続いているのでしょう。

振り返れば、この他、様々な思い出が浮かんできます。雪原となった校庭での裸足のラグビー、毎月集まっては、旧制高校の寮歌などを大声で歌っていた同じ地区の会、朴歯の高下駄に腰に手拭い、破れ帽子姿……あこがれの旧制高校生の真似だったのでしょう。思い返すことは尽きることはありません。
一学年400名、9クラスだったと思うのです。学校は発表しませんでしたが、多分、私は学年トップの席次で卒業したと思っています、残念なことに回れ右したらですが。こんな奴は早く追い出せとばかりに卒業させたのでしょう。とても同期会には顔出しなどできません。               
80余歳、既に鬼籍の友人も何人かいるのでしょう。一方、今なお現役として最前線で活躍している人もいることと思います。どなたもこれからもどうか壮健でありますよう、下総の片隅から祈っています。また、同期会が盛会でありますよう。                                  
庭の餌台に、以前はメジロ、シジュウカラ、ウグイス、クロジ、時にはカラスやキジ、オナガなど、賑やかにお客様がやって来てくれてたのに、最近はオナガとスズメだけ。なぜだか分かりません。

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