我と来て遊べや雀
  我と来てあそべや親のない雀 一茶
厳しい暑さや寒さに私の体はとくになじみ難く、大好きな旅の詳細プランは幾つも出来ているのに、旅の資料と共に机上に積み重ねてあるばかりで、出掛けられるのか見通しが立たないのが残念です。この頃の外出は、せいぜい半径二キロ範囲の通院と買い物のだけ、それも月に数える程の、いわば引きこもり状態です。電話も難聴のため苦手で、用事はメールかFAXしか使いません。とても不便です。今年になって機能も値段も高いという補聴器に買い換えたのですが、いくら調整をしても、補聴器は補聴器でしかなく、人間の耳にはなりません。多少は役立っているのでしょうが。

こんな引きこもりにとって、小さな来訪者は何よりの慰めです。庭先の餌台に毎朝やってくる雀たちです。幼い一茶も、雀がなにより身近な存在だったのでしょう。何年も前から手作りの餌台が設けてあります。そこに水と市販の小鳥の餌を、朝の日課としてまき散らしておきます。近くの木々や隣家の屋根の上で心待ちにしている数羽の雀たちが、私の姿が見えなくなると、急いで舞い降りてきて忙しげに啄みます。家族なのか仲良く食べている時もあれば、直ぐ近くの枝に止まって席が空くのを待つ雀もおれば、後からやって来た雀が先に来ていた雀を追い払ってひとりで啄む奴もおります。体型にさして違いはないのですが、小雀を他の成鳥が追い払ったのでしょうか。どこの世界も厳しいものです。

以前、水の容器で雀が水浴びをしていたことがありましたが、近頃はついぞ見たことがありません。多分、猛暑で水は熱湯のようになっているので、水浴びどころではなく、熱湯風呂では雀も嫌なんでしょう。毎朝、水も取り替えてやらなければならないようです。水桶の中で羽ばたいて、いかにも楽しそうに見えた水浴びの姿をまた見たいものですが、そんな機会がやってくるでしょうか。

春先にはまだ自然の餌が少ないためか、沢山のお客様が団体で来たものですが、この頃は自然の餌が多くなったのと、子育てが一段落したためか、単独で来ることが多くなりました。ところが、この程珍しく親子連れが姿を見せました。そして、親が子供に口移しで餌を食べさせる哺育の姿を初めて見せてくれました。郷里の家々では毎年田植えの頃に南から燕がやって来ました。そして家の軒下などに泥で巣を作り、卵を産んで子育てをするのを温かく見守ったものです。卵から孵ると、親鳥が餌をくわえて運んでくると、子燕たちは一斉に口を開けて餌をせがむ姿を思い出しました。雀も同じ哺育する姿を眺めて、なんだか吃驚するやら嬉しいやら。
      
十年前頃には、この我が家の小さな庭にも、雀だけではなく、様々な野鳥がやってきました。いつもつがいでやって来るメジロは林檎や蜜柑が大好き、そこへくすんだ色の見栄えのしない大きめのヒヨドリがやってきてメジロを追い払うのが常でした。そのヒヨドリを見かけると人間が追い払っていました。たった一度だけですが、鶯も来てくれました、でもその美声は聞かせてはくれませんでしたが。時折は四十雀、クロジ、オナガからカラスまでやってきましたが、地域の自然環境が変わったためか、果物の餌がないためか、姿を見せません。今は唯一の来訪者が雀です。

雀は特に稲を食い荒らす害鳥として、追い払うために秋の風物詩としても欠かせない案山子をあちこちで見かけたものです。本当に案山子を見て雀が逃げていたのでしょうか? 雀に人間は危険だという認識がなければ、案山子の上に停まって休むこともありましょう。案山子の効用の研究などがあったら見たいものです。小さな小鳥程警戒心は強いようです。どうやら雀が着目するのは形より動きや音ではないかと思います。窓から雀を見ようとそっとカーテンを動かしても、さっと雀は逃げ出します。いつもキョトキョトと激しく頭を動かしているのは、小型の小鳥の警戒動作かなと思います。昔、郷里ではカーバイトに水を反応させてアセチレンガスを発生させて、着火する際の爆音を使った竹製の仕掛けの雀脅しを使っていました。大きな音が響き渡るので、間違いなく雀たちが一斉に飛び立った光景は、私の記憶にも残っています。

これからも静かにしてこの大事な小さな来訪者を歓迎したいと思っています。来春になったら、違う小鳥たちもやって来てくれることも期待したいものです。

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