天災は忘れた頃に
「天災は忘れた頃にやってくる」とは寺田寅彦の名言ですが、ほんとうに、いつ、どこで、どんな災害が起こるかは、科学が進歩した今でも、すべては予測できないのでしょう。今年になって、岡山、広島の大水による災害がありましたが、今度は北海道の地震による災害。尊い人命を失い、家屋の流失や倒壊、浸水などなど。多くの人が避難所暮らしの不便な生活を余儀なくされる。それらに加えて、生命線とも言われる水と電気の途絶や交通の断絶などのなかで、どんな苦労をされていることでしょうか。一日も早い復旧の日の近いことを祈るばかりです。

どこに住んでもどんな災害にも全く無縁の地は、多分ないのでしょう。私の所は地震の多発地帯のようで、震度4以下の地震が度々起こります。「またか」と思うだけで、特に対処もしませんが、それがいつ震度6などとならない保証はありません。近くに大河も流れています。街の所々には、河川管理の国土交通省が立てた「予想浸水」の高さを示す表示がありましたが、どういうわけかいつの間にか姿を消しました。それには拙宅は1mの浸水予想地になってりました。市のハザートマップで示した避難所は、拙宅より6m程低い近くの学校です。船か泳がないと避難できません。後に、気がついたのでしょう、少し遠い別の場所に変更されましたが、ここは拙宅と標高が同じです。どうしたらよいのでしょうか。二階に待避するのか、早めに避難するしかありません。それともゴムボートでも用意すべきなんでしょう。

「早めの避難」というのは簡単ですが、実際に災害が起きた時にどう行動するのか、易しいようで難しいのでしょう。先日の池上彰さんのテレビで、行政が住民に対して発する避難に関する情報には、緊急度によって3段階あるそうです。気象庁の○○注意報によって「避難準備」が伝えられるのが第一段階。気を付けなければいけないのは、この「避難準備」には「準備」だけではなく、「高齢者や乳幼児は避難」せよという意味もあるといいます。避難の足手まといにならぬよう早めに避難せよというのでしょう。こんなことは初めて知りました。私の自治体ではこんな情報はありません。第二段階が「避難勧告」で建物内の安全な場所か避難所に移動せよとのこと。第三段階は「避難指示」で文字通り全員避難とのこと。

阪神大震災の後、我が家でも災害に備えて、二つの非常持ち出し袋を用意しました。手袋、雨具、照明、防寒具、ラジオ、食料や飲料など一通り準備し直ぐに持ち出せる処に置いてあります。阪神大震災の教訓として伝えられた食器、包帯、紐にもなるラップと、防寒衣、雑巾代わりの新聞紙も入れてあります。毎年、防災の日には、食料の賞味期限などや品揃えを確認し、必要に応じて差し替えをしています。今年も大災害の後、各種の報道機関などが災害に対する備えについて取り上げてくれます。それを見て、いくつか追加しております。今年追加したのはソーラースマホ充電器・ライトです。どこまで実用になるか分かりませんが、情報の途絶は不安ですから。それに、予備の眼鏡、メモ帳と筆記具も枕元の小さな鞄に収めました。

停電・断水への備えなら、水は5リットルタンク2本を交互に一日おきに入れ替えています。食料もあれこれかき集めれば10日は持ちこたえそうです。調理も暖房も電気ですから、その備えとして、石油ストーブと卓上ガスコンロを用意してあります。どんなに備えても万全とは言えないのでしょうが、なるべく人様のご迷惑にならないようにしたいものだと思っています。何かよいお知恵がありましたらお教え下さい。関西や北海道のニュースから考えると、どうやら寺田寅彦の名言は修正した方がいいようです。「天災は無縁と思う処もやってくる」

庭先の沙羅樹の根元に彼岸花が咲き出しました。植えたのではなく、沙羅を移植した時に一緒にやって来たようです。彼岸花は曼珠沙華、死人花、灯籠花、捨子花、天蓋花……、余りいい異名ではありません。それゆえか墓地などにも見られ、自宅の庭に植えている人は少ないようです。
 露の香にしんじつ赤き曼珠沙華 蛇笏

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