戸隠神社奥社への途 

 飯山に行くことを思い立ったが、時間に少し余裕があるので、かねてから訪ねたいと思っていた戸隠神社に行ってから野沢温泉に泊まり、そこから飯山に向かう計画を立てた。
私の頭に描かれている「戸隠」は、戸隠神社に天の岩戸や鬼女紅葉の伝説の地、それに戸隠蕎麦に戸隠流忍術、さらにJRの休日倶楽部のCMで、吉永小百合が佇む鬱蒼とした杉参道くらいなもの。なお、近年はパワースポットとして名高いとか。

「戸隠神社は、奥社、中社、宝光社の三社からなっている。平安時代の修験道が行われ、日本有数の霊地として知られている。縁起によると、学問行者が修験を始めた年代を嘉祥二年(849)頃としており、これが戸隠寺(奥院)の起源となったという。…明治の神仏分離で寺を廃し…名称を改めた」(長野県史蹟指定の標示板)

この三社の他九頭龍社と日之御子社の五社で構成されているそうだが、僅かな時間では各社を巡ることはとてもできない。CMで見たあの杉参道へ行ってみたいと、バスで中社を素通りして、奥社入り口まで登った。
 
 長野からバスで1時間あまり、曲がりくねった道を戸隠山(1904m)に向かって1200mのこの地まで登ってくる。   奥社大鳥居。馬も車もここまで。奥社まで2kmの参道の始まり。さて、奥社まで歩けるかな?
 
 参道左側は「森林植物園」杉並木と近くの山林は伐採を禁じられてきたので、珍しい動植物も多く、野鳥の有数の繁殖地でもあるそうだ。長野県天然記念物指定。    クルマバソウ(車葉草)参道脇に見慣れぬ花を見かけた。図鑑で調べはしたが、違っているかな?
この公園はトガクシソウなど、多彩な草花で覆われる由。
 
 ヤブミョウガ(薮茗荷)    ヒメカイウ(姫海芋) ?
 
「 随神門」入り口から1kmほど、奥社までの中間地点。    弓を構えた随神がやっと辿り着いた参拝者を迎える。
 
 随神門をくぐると、CMで見た樹齢400年のクマスギの巨木の並木が500mほど続く。日光の杉並木と違って、威圧を受けるかの感じがするのはなぜなんだろう。4歳ぐらいの幼児から80過ぎの高齢者も黙って奥社に向かう。    「慶長17年(1621)戸隠山顕光寺(現在の神社)は千石の朱印地を拝領した。その後顕光寺を中心として大門通りをつくり、坊はその道側に集め参道や杉並木をつくり、一山の偉容を整えた。」(観光協会標示板)
 杉並木を過ぎると、ゆるやかな坂道の石段が続く。1km程と言うが、これほど奥社が遠いと感じたことはない。緑の木立を背にした社が見えてきて、やっと元気が出たようだ。その先に九頭龍社と傍らの少し高台に奥社が建っている。追い越してきた幼児連れの母親やお年寄り達は、ここまでたどり着けるだろうか。
 
戸隠神社・奥社(御本社)。祭神は天手力雄命(あまのたちからおのみこと) 。「天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。全国に開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が広宣され…。」(説明板)    九頭龍社。祭神は九頭龍大神。「天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、…、古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結の神として尊信…」(説明板)
 
 「飯綱大明神」中世期には戸隠十三谷三千坊と呼ばれ比叡山、高野山と共に「三千坊三山」といわれ、参道の傍らに講堂や多くの坊などが並んでいたそうだ。   帰途も同じ1kmだが、下り坂のためか随神門が早くも見えてきた。どういうわけか、奥社に向かう人にあまり出逢わない。昼食時?? 
 
 参道から「ささやきの小径」を通って、2.7kmで牧場やキャンプ場へ辿り着くと案内している。行ってはみたいが。    ハルゼミが鳴きしきるハンノキ、トチ、ハルニレなど広葉樹の中の明るい道を歩くと、まさに空気も美味しい。
 
 中社まで下りて食べる予定だったが、時間がずれて大鳥居の前の「なおすけ」で蕎麦を食べる。    「天ぷら蕎麦」1600円。原生林を眺めながら、戸隠高原の蕎麦と水、たくさんの山菜天ぷら。空腹で一層うまい!
戸隠の魅力を満喫するには、せめてここに一泊はしなければ無理なんだろう。戸隠神社の5社を参拝し、植物園をゆっくり散策する。ここには蕎麦の博物館と化石博物館、竹細工センターもあり、それに蕎麦の手打ち体験の施設もあるそうだ。 この戸隠の地で自分で打った蕎麦が食べられたら、さぞかしおいしさこの上もないだろうなあ。

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