雨の鳳来寺山 


 「鳳来寺山は元来噴火しかけて中途でやみ、その噴出物が凝固して斯うした奇怪な形の山をなした…。高さは二千三百尺、山塊全体もさうも大きな者ではないが、切りそうだやうに聳えた岸壁、それらの間に刻み込まれた谿谷など、とかく眼に立つ眺めを持って居る。……」(若山牧水 鳳来寺紀行)
 牧水は「仏法僧」など若葉の頃に啼く鳥声を心ゆくまで聞きたくて、大正12(1923)年に訪ねてきて、医王院という寺に6日を過ごした。「佛法僧佛法僧となく鳥の声をまねつつ飲める酒かも」

今朝の予報では午後3時頃から弱い雨が降るとのことだったが、早々と午前中から雨が降り出していた。
 
 鳳来寺山パークウェイで登っていくと、杉林を抜け、紅葉の木々が見え始めたが。   山頂の駐車場へ着いても雨は降り続いて、見下ろしてもすっかり霧の中。
 
 今は「もみじまつり」とか。その名の通り、道の近くでは  鮮やかな紅葉が見られた。
 徳川家光は、松平広忠が子なきを患ひて妻於大とともに鳳来寺に参籠祈願して家康を産んだと知り、東照宮建立を思い立って、慶安4(1657)年に完成。国の重文指定を受ける。
 
降る雨は一層深山霊域の感を強くする。    参拝も大変だ、傘を差しての行列待ち。
 
東照宮の拝殿から本殿を見る。殆どの建造物は重文。   鬱蒼とした杉の古木の合間から紅葉がのぞく。
  鳳来寺は「推古天皇の時僧理修の開創で、更に文武天皇大宝年間に勅願所として大きな堂宇が建立されたさうだ。その後源頼朝もいたくこの寺の薬師如来を信仰して多くの荘園を奉納し、……徳川広忠はここに参籠して家康を産んだといふので家光家綱相続いて殿堂鐘楼楼門その他山林方三里を……」(蓬莱寺紀行)
「特に子授けの薬師如来として評判が高く、天平文化の華光明皇后、浄瑠璃の主人公浄瑠璃姫も授り人と伝う。」(説明の看板)
 真言宗五智教団の本山。かつては21もの僧坊があったが、明治大正の二度の大火で本堂を始めとして焼失、今では牧水が泊まった医王院のほか、松高院を残すだけとか。医王院などは機会を改めないと訪ねられない。
 
 東照宮から数分の鳳来寺本堂へ向かう。    鳳来寺本堂。 嶮しい岸壁を背負う。昭和40年再建。
 
短い参拝(観光か)時間の中で探し当てた色鮮やかな楓の紅。天気がよいともっと鮮やかなんだろうなあ。  
 
  少し霧が晴れて、遥か下界の灯りがちらほらと見える。ここは標高400mくらいだが、随分高く感じる。
 
 崖を匍い登る行者越。広重画。登るも命がけ。こんな処もあるのかな。今は苦労なしでこんな紅葉も見られる。   
 
 「嶮しい岩肌を緑の木々と赤く染まった紅葉が作り出す美しい光景」との案内通りの光景には出会わなかった。    「仏法僧饅頭」「五平餅」「蒟蒻」「自然薯」、「すすきみみずく」……、その他何が並んでいたかなあ。
 芭蕉は元禄4年の晩秋に鳳来寺山を尋ね、「木枯に岩吹とがる杉間かな」(笈日記)など2句を残している。また、放浪の俳人、種田山頭火は、昭和14年4月に尋ねてきて「たたずめば山気しんしんせまる」など、16句を残しており、そのうち4句が句碑として建てられているそうだ。
 本来は表参道の1125段の石段をゆっくり登りながら、これらの句碑や、芭蕉、牧水、義経、浄瑠璃姫、家康などの像に対面したりして、古人の思いに近づきたいものだが、夢かな?

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