|
|||
雨の 伊香保バスターミナル。ここから榛名湖行きの路線バスに乗る。 | ターミナルの脇は「文学の小径」いくつかの文学碑があるが、スズメバチの巣。駆除しない優しさ。 | ||
い香保のそひの榛原吾が衣に つき寄らしものよひたと思えば 万葉歌碑 |
湯の量の豊かなるゆゑ返り花 鷹羽狩行 |
||
榛名湖は小雨が降り続いて、湖畔を歩く人影もない。 榛名湖は周囲6kmのカルデラ湖。榛名山は赤城、妙義とともに上毛三山の一つ、標高1446m。今日は霧に包まれてその全貌を見せてくれない。案内図を見ると、ここには榛名山へのロープウェイ、温泉、テニスコート、キャンプ場、遊覧船やボートなどもあって、シーズンにはさぞかし賑わうのだろうが、この日は観光客は自分たちだけかな? | |||
「湖畔の宿」詩碑。佐藤惣之助詩。服部良一曲 高峰三枝子歌。作詞家の手紙で榛名湖が詩のイメージと分かったそうだ。「山の淋しい湖に独り…」 |
湖を一望する高台の 「湖畔の宿記念公園」に詩碑とともに建つ「乙女の像」。「湖畔の宿」が演奏できるメロディーフェンスは故障中。 | ||
湖の岸まで芝生が一町もなだらかに下つてゐる。縁側に坐つて湖を見ると、すでに山頂にゐるために榛名富士と云つても對岸の小山にすぎない。湖は人家を教軒湖岸に散在させた周圍一里の圓形である。動くものはと見ると、ただ雲の團塊が徐徐に湖面の上を移行してゐるだけである。(榛名 横光利一) | |||
竹下夢二のアトリエ。湖を見下ろす草の生い茂った中に建つ。今にもあちこちと壊れそうだ。 | 榛名湖畔の竹下夢二。昭和5年撮影。スケッチなどと掲示してある。硝子窓越しに。 | ||
榛名湖を背にして建つ竹久夢二歌碑。 さだめなく鳥やゆくらむ青山の 青のさびしさかぎりなければ 夢 |
開店間もない感じの蕎麦屋さん、ご婦人が独りで調理も接客も。北海道産そば粉の蕎麦も名物のワカサギの天ぷらもおいしかった。竹笛のおまけ付 | ||
上野榛名山上榛名湖にて。 山のうへの榛名の湖の水ぎはに女ものあらふ雨に濡れつつ(なまけ者と雨 若山牧水) |
|||
名物のワカサギ漁は9月に解禁したばかり。なかなか竿が上がらないようだった、. | コスモスと榛名湖と榛名山、それにそぼ降る秋雨と。天気がよかったら、どんな感じなんだろう。 | ||
榛名湖から降りて伊香保に戻り、街はずれの竹下夢二記念館を訪ねた。 手入れの行き届いた森林の中に、幾つもの建物が点在していた。資料によると、竹下夢二は明治17年岡山県生まれ。大正8年初めて伊香保を訪ねる。昭和6年、欧米旅行、昭和9年富士見高原で永眠。雑誌のコマ絵、装丁、独特の美人画、多彩な芸術活動を展開し、、大正時代を象徴する世界を築いたといえるのかも知れない。 ここには絵画、書簡、スケッチなど1万6千余に資料があって順次公開されているそうだ。 建物の内外装、照明、家具などで大正時代を演出する中で夢二の世界に浸れるようにしつらえてある。 |
|||
竹下夢二記念館本館「大正ロマンの館.」 夢二の作品の展示と、特別展示の施設があり、ここは予約制で年に一度「黒船屋」という夢二の肉筆条幅を公開。館長自ら長い説明をしてくれた。 |
新館「義山楼」ぎやまんろうと読む。日本の昔硝子の展示館。人数がまとまると引率して説明してくれる。数多くの硝子の器が巧みな照明で浮かび上がって壮観。 | ||
日本庭園。秋は紅葉もさぞかし見事なんだろう。 | 別館「子供絵の館」此処も引率観覧。 | ||
石段脇に建つ伊香保関所。三国街道の裏往還の要所として寛永8年に設置。 | 役人が腰掛けた「取り調べ石」(右)と、取り調べの時平伏して手をついた「お辞儀石」(左)だって。 | ||
関所の中には当時の火縄銃、十手や手槍、道中手形などが展示してあった。 | い香保風吹く日吹かぬ日ありといえど 吾が恋のみし時なかりけり 万葉歌碑 |
||
明治31年まで、ハワイ王国日本駐在弁理公使ロバート・W・アルウィンの別邸。 その一部を移築。 | 隣接の資料館には、当時の調度品や掲示資料など。日本人と結婚し亡くなるまで日本で暮らした。 | ||
別邸の背後の高台の日本庭園。ハワイ王国公使別邸の庭園かどうかは知らぬ。訪う人もなかった。 | 松根東洋城句碑 秋風やいかな動かぬ山の大 東洋城 |
||
石段最下段の中央に足湯があった。ちょっと足を入れてみたが、ぬるい。ぬるいのがいいのかな? | 石段を登ると、「これより石段」「参百六十五段」の標柱。「これより」って?? | ||
階段の途中、共同入浴施設「石段の湯」伊香保には他に2か所あるとか。 | 与謝野晶子「伊香保の街」 石段の蹴込みに 一行ずつ刻まれている。気づかずに登る人も。 |
||
「伊香保の街」 与謝野晶子 榛名山の一角に、段また段を成して、 / 羅馬時代の野外劇場の如く、 / 斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、 / 屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、 / すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が / 柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。 / 街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、 / 長い長い石の階段を作り、 / 伊香保神社の前にまで、 / Hの字を無数に積み上げて、 / 殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。 |
|||
金子兜太句碑 小鳥来る全力疾走の小鳥も 兜太 |
石段中央に湯樋が通り、そこから各旅館に引かれる。小間口から湯の流れが見える。 | ||
「辰」石段街には200年以上昔に大家という12の温泉宿があり、干支はそれを示す場所にある。 | 「岸権(上)小間口 横4寸 竪7分9厘」 岸権旅館へ分配の湯量はこれだけと決め、施錠して管理。 |