ちょっと井月を尋ねて 

幕末から明治にかけて30年余を伊那谷に生き、放浪の俳人、漂泊の俳人、乞食井月などいわれた井上井月(いのうえせいげつ)。酒を好み書をよくし、句会を主宰などして信州伊那谷の各地を30年に及んで転々としていたそうだ。井月の書は芥川龍之介が「幻住庵の記などに至ると入神と称するをも妨げない」と絶賛したという。
かねてから聞き及んでいたこの俳人の墓や句碑を尋ねてみようと伊那市に降り立った。所用のついでの僅かの時間なのに、高速バスが渋滞で2時間あまりも遅れて伊那市に着いたのは薄暗くなりかけていた。急いでタクシーで墓地に駆けつけた。
 
明治20年、俳友塩原梅関方で往生を遂げる。田の中、塩原家の墓地の杉の元に眠る。   井月墓地。文字は摩耗して読めない。
「降るとまで人には見せて花曇り」の句を刻む由
 
ここの名物料理はローメンとソースカツ丼。ホテルで聞き、近くの創業60年の「門・やません」へ     ミニカツ丼。1000円。分厚い濃厚な味のカツ。美味でも半分しか食べられぬ。秘伝の味だとか。
 
早朝の天竜川を渡って、句碑が多く建つという三峰川(みぶがわ)の堤防のサイクリングロードへ自転車を走らせる。風もなく、特別寒くはなかったが、とにかく早く明るくなってくれ。  
 
 除け合うて二人ぬれけり露の道 井月    楽しみは浅瀬に深し蜆とり  井月
 
 三峰川の先は中央アルプス。頂に雪は?    菜の花に遠く見ゆるや山の雪  井月
 
 明安き夜を日に継や水車  井月   稲妻や藻の下闇に魚の影   井月 
 
子供にはまたげぬ川や飛蛍  井月   手元から日の暮れ行くや凧  井月 
 
若鮎の瀬に尻まくる子供かな  井月     小流に上る魚あり稲の花  井月
 
 稲妻のひかりうち込む夜網かな  井月   三峰川源流は南ア塩見岳、60kmを流れ下る。 
それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。
……その頃この宿にゐた、乞食宗匠の井月ばかりは、度々彼の所へ遊びに来た。長男も不思議に井月にだけは、酒を飲ませたり字を書かせたり、機嫌の好い顔を見せてゐた。「山はまだ花の香もあり時鳥、井月。ところどころに滝のほのめく、文室」――そんな附合ひも残つてゐる。……
当主はそれから一年余り後、夜伽の妻に守られながら、蚊帳の中に息をひきとつた。「蛙が啼いてゐるな。井月はどうしつら?」――これが最期の言葉だつた。が、もう井月はとうの昔、この辺の風景にも飽きたのか、さつぱり乞食にも来なくなつてゐた。…… (芥川龍之介「庭」)  
 
 高校生の時、人生一度だけの登山は中アの主峰駒ヶ岳2,956m。バスもケーブルもない頃、ひたすら歩いて山を越えて木曽へ降りた。
山頂はまだ雲の中。次第に雲が切れて明るくなることだろう。
  バスターミナルの土産物コーナー。珍品ぞろり。
ざざむし、蜂の子、いなご、さなぎ、鯉の甘煮、馬節、ウー油、玉葱の皮、ソースローメン……。
勿論、蕎麦、寒天製品、米、リンゴ製品なども。
小瓶入りのざざむし1450円、蜂の子1380円!!
 井月の句碑は、伊那市周辺で60基ほどもあるそうで、伊那谷の人の井月に寄せる思いの程が知れよう。西行法師、松尾芭蕉、小林一茶、そして井上井月、種田山頭火、尾崎放哉、それぞれに一脈通じるものがあるのだろう。 折があったら、また句碑を尋ね歩きたいものだ。

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