一茶のふるさとを尋ねて 04.11.17~18
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軽井沢を行く新幹線の車窓から浅間山の遠望。 「晝顔やぽつぽつと燃る石ころへ 一茶」 |
「雪とけて村いっぱいの子供哉」 柏原小学校 この日の校庭には僅かな子供が遊んでいるだけ。 |
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「ゆうせんとして山を見る蛙哉」銀行の支店の前に黒姫を眺める蛙の像とともに建っている。 | 一茶記念館前からの黒姫山(2046m)の遠望。道路は国道18号。駅から300m程の小高いところ。 | ||
「九輪草四五輪で仕廻けり」 一茶記念館。 記念館には一茶の遺墨などの資料が展示されていた。 |
一茶俤堂。別名「俳諧寺」明治時代に建てられたもので、天井に多くの俳人の筆跡などが残されている。 | ||
「初夢に故郷をみて涙かな」俤堂脇に句碑と一茶像が建つ。旅から旅の俳諧師の故郷の夢はどんな夢? | 俤堂のちょっと後方の雑木林にある一茶の墓。この一帯は小円山公園として整備され、さぞかし一茶も本望。 | ||
「おらが世やそこらの草も餅になる」 小円山公園 ここには実に多くの句碑が建つ。一茶の他の人のも。 |
「是がまあつひの栖か雪五尺」 小円山公園 3m以上の公園最大の句碑。五尺の雪にも埋まらない。 |
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「我と来て遊べや親のない雀」 明専寺 小円山公園から数分の距離の一茶の菩提寺。 |
童謡「一茶のおじさん」詩碑 記念館前 『一茶のおじさん 一茶のおじさん……」 |
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小林一茶之像。立派すぎて一茶のイメージと重なりません。路傍の石の腰掛けている姿が一茶らしい? | 国指定史跡「一茶終焉の土蔵」大火の類焼に遭い、若い細君との仮住まいのうちに亡くなった。 | ||
「門の木も先つゝがなし夕涼」 一茶終焉の土蔵前 門のわきにはどんな木があったのかな? |
「松陰に寐て喰ふ六十余州かな」 諏訪神社 文政時代の建碑で最も古い。碑文はつぶれて読めない。 |
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「はつ蝶の夫婦連れして来たりけり」 信濃総合会館 |
「雀の子そこのけ/\お馬が通る」 民家の駐車場 |
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黒姫駅から一つ先の妙高高原駅へ、そこから赤倉温泉に一泊。部屋の窓から見る暮れゆく妙高山。10月23日の中越地震の影響で客足が途絶えたとおかみが嘆いた。 | 翌日、妙高高原駅からタクシーで野尻湖に寄りながら黒姫へ向かう。対岸は別荘地帯の由。この季節、湖岸には人影もない。 | ||
「やれうつな蠅が手をする足をする」 黒姫駅ホーム 駅正面には「蟻の道雲の峰よりつづきけん」の碑もある。 |
黒姫から善光寺に参拝。善男善女の団体か各地から。 震災の影響で参詣者も少ないのかな? |
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「春風や牛に引かれて善光寺」 善光寺北公園 「開帳に逢ふや雀も親子連れ」 |
城山公園から本堂を望む。この辺は人影も少ない。 ここの東山魁夷館に寄ってその芸術をちょっと鑑賞。 |