伊豆大島の旅 ー  熱海から大島 元町から波浮の港へ

伊豆大島への便は、羽田から飛行機か、竹芝から客船かジェット船、熱海からジェット船などがあるが、地上以外の乗り物は不得手なので、最短距離の熱海から行くことにした。僅か45分で着くし、「全没翼型水中翼船」は抜群の乗り心地だというので。

 熱海と云えば「金色夜叉」。熱海港の直ぐ近くに「貫一お宮」像と「お宮の松」があった。金色夜叉は映画化されること24回とか。世間の紅涙を絞ったそうだが、私は見たことはない。

「ええ、何の話が有るものか。さあここを放さないか」
「私は放さない」
「剛情張ると蹴飛すぞ」
「蹴られても可いわ」
 貫一は力を極めて振断(ふりちぎ)れば、宮は無残に伏転(ふしまろ)びぬ。
「貫一さん」
 
 「恋に破れし貫一は すがるお宮をつきはなし
無念の涙はらはらと 残るなぎさに月さびし」
  金色夜叉には「松」は出てこないが、小栗風葉の句から「お宮の松」と云われるようになったそうだ。
 
 「宮に似たうしろ姿や春の月」 小栗風葉    熱海港。大島行と初島行の定期船が発着する。
 
 高速ジェット船「セブンアイランド愛」号。定員300余    錦ヶ浦。遠くは霞んで見通しがきかない。
 伊豆大島は東京都大島町。熱海から47km、野島崎から40km、東京から120㎞に位置する島で、伊豆七島で最も大きく総面積は91平方km、東西9km南北15km、周囲52kmとのこと。人口9000人程。農林水産業人口は僅か8%程とは意外に思いました。客船は天候により元町港か岡田港のどちらかに着くそうで当日の朝に決まる。
 
実に穏やかな海を船は文字通り滑るようにして定刻の12時に元町港に着く。目の直ぐ前には三原山が聳えている。先ずは昼食。港近くの食堂の看板に「べっこう丼」??    島の活動の中心地 元町。名物だという「べっこう丼」で昼食。白身魚を島唐辛子と醤油でつけ込んで、丼にのせ島海苔をちらした丼。唐辛子が効いていてオイシイ!?
昼食ののち、車を借りて波浮の港へ。
 
1615年、流罪で来島した武田信玄の孫武田信道夫妻とここで没した家臣の供養塔。通り道の野増の慈眼寺。    供養塔のある上の方に、奇妙な建物が眼についた。茅葺きではなく「草葺き」? 「本格焼酎 御神火」の蔵元
 
 間伏地層大切断面。波浮に向かう島一周道路沿いに、高さ30m長さ800mの見事なバームクーヘンのような縞模様が続く。   過去15,000年前から数百回の大噴火によって降り積もった火山灰の堆積物が幾重にも積み重なってできたそうで、褶曲ではないそうだ。
 波浮の港は元火口湖で、水蒸気爆発や大地震で岩盤が崩れ海に通じた。干潮時には港口を歩いてわたれるのに着目した上総の人秋広平六は、幕府に願い出て港口を開削して1801年、開港。以後沿岸漁業の中心地として、また風待港としても隆盛を極めたという。
 
 見晴台から港を見下ろす。港の外周は崖で囲まれている。丘の上は屋敷地で、丘の下の港とは狭い曲がりくねった石段で繋がっている。    波浮港を開削した秋広平六は、小手をかざして見晴台から港を見下ろしている。足元には彼の略伝を記す。
 
 「アンコ椿は恋の花」歌碑 見晴台
作詞:星野哲郎 作曲:市川昭介 歌:都はるみ
 三日おくれの便りをのせて 船が行く行く波浮港……
   龍王崎灯台。波浮港を見下ろす岬の先端に建つ。塔高14m、灯高67mとか。近くの「鉄砲場」には江戸後期黒船に備えて大砲や投石用の石が備えられていた由。

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