春日部から幸手へ 奥の細道を辿る

「おくのほそ道」には、早加(草加)と云う宿にたどり着いたという記載から、一気に室の八嶋へと飛んで,、その間のことは何も取り上げていない。随行した曽良の「曽良旅日記」には、
「  巳三月廿日、同出、深川出船。巳ノ下尅、千住ニ揚ル。
一 廿七日夜、カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。」
とある。千住から草加宿まで4.7km、越谷宿まで4.7kmそして粕壁宿まで7km、約16kmを歩いて春日部に宿泊したが、どこに泊まったかは定かではないそうだ。
その翌日、粕壁―6.km2―杉戸―6.4km―幸手―8.2km―栗橋―と歩いていく。

 東陽寺                        春日部市
日光街道沿いの交差点に建つ曹洞宗医王山東陽寺
寛永9年(1632年)創建だという。

東陽寺山門の標柱
傳芭蕉宿泊の寺」とある。「傳」の一字が奥ゆかしいではないか。

曽良日記の碑                     東陽寺
本殿前に、曽良の随行日記の一節「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」を刻む碑。

小渕道標                       春日部市
左に「左日光道」、正面には「青面金剛」を刻む。 
脇に小さいのもあるが読めない。

小渕山観音院                     春日部市
鎌倉時代中期の建立。正賢寺。ここも芭蕉宿泊地とする言い伝えがある。どっちかなあ?

芭蕉句碑                       小渕山観音院
「ものいへば唇寒し秋の風 はせを」

浅間神社                        杉戸町
積み上げた岩山に浅間様を始め各種の碑が埋め込まれていた。

芭蕉句碑                       浅間神社
「八九間空で雨ふる柳哉 はせを」

永福寺                         杉戸町
天平勝宝5(753)年行基が開祖の古刹。真言宗豊山派。

西行法師見返りの松                 永福寺
東北への旅の途中、ここで病に倒れたが村人の看護を受け、見返りつつ旅立ったとか。

正福寺                         幸手町
香水山揚池院正福寺。真言宗智山派の寺。

日光街道道標                    正福寺
「日光道中」側面に「馬頭観世音供養」

幸手一里塚跡
正福寺前の曲がり角の両側にあった。今は痕跡はない。

外国府間道標                     幸手町
「左日光道」「右つくば道」「東かわつま前ばやし」

小右衛門一里塚                   栗橋町
江戸から14番目。今は移築された弁財天堂がある。9m四方の当初の遺稿を残す。

会津見送り稲荷                    栗橋町
会津藩士が江戸出府の際、出水で困惑していたら老人が道案内してくれた。それは狐。

栗橋関所跡碑                     栗橋町
正式には「房川渡(ぼうせんわたし)中田・関所」日光街道唯一の関所。利根川堤防。

焙烙(ほうろく)地蔵                     栗橋町
関所破りを処刑したところで、刑死者を供養するために祀ったという。
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