ちょっと亀戸から銀座へ

江東区の亀戸天神の藤祭りのニュースから日も経ったので、もう散ってしまったと思ったが、かねてから一度訪ねたたいと思っていたので、腰を上げた。ついでに銀座に回って、郷里のアンテナショップへ寄ることにした。
 
羽亀像。   荒川水位塔。 
駅前の「羽亀公園」という処に、奇妙な「羽亀像」があった。亀井のシンボル?? 羽亀をイメージしたご当地キャラクターや菓子もイベントもあるそうで。このあたりは隅田川と荒川の間の、いわゆる0メート地帯で、過去に何回も水害に遭った。荒川水位塔には、過去の水害時の水位を刻み、現在の荒川を表示(故障?}するそうだ。こうした地域だからこそ「羽亀」が生まれたのだろうか。  
 
 亀戸天満社。東宰府天満宮、花の天神様。藤だけではなく、季節季節にはツツジや梅の花、菊の花も参詣者を迎えてくれる。
太宰府の社と同じに、社殿、回廊、心字の池には二つ太鼓橋が配置されている。 池と橋は人の一生を表しているそうだ。
 
 池の中央をこの男橋と女橋の二つの太鼓橋と間の平橋で神前へと繋ぐ。江戸時代は木橋、今はコンクリート製。    安藤広重「江戸名所百景 亀戸天神境内」
一里足らずの本所生まれの北斎もきっと描いているのだろう。
 
境内には約百本の藤が植えられている由。花の盛りは4月末から連休までとか。でも少しまだ残っていてくれた。  
   
この古木は江戸時代から何年咲き続けているのだろうか。   琴柱灯籠。背後に女橋と「飛梅」の実生を祀る紅梅殿が。 
 
 本殿。祭神:天満大神(菅原道真公)・天菩日命(菅原家の祖神) 本殿越しにスカイツリーが覗く。自撮り用のカメラ台もあった。
 
五歳菅公像。「美しやあこが顔にもつけたくぞある」台座に刻む    神牛。天神様の神使。菅公と牛には様々な因縁があるそうだ。
 
鷽( うそ)の碑。碑の前には右欄の木彫の鷽が並んでいた。毎年1月24日、25日に「うそ替え神事」が行われ、前年のウソを納め、新しいウソを求めると「凶もウソとなり吉にトリ替わる」といわれている。太宰府でもこの神事があるそうだ。  
 
 御嶽(みたけ神社。道真の学問の師を祀る。開運の卯の神。   塩原太助寄進の石灯籠。本所で薪炭商で財をなす。一心太助
 
中江兆民公之碑。民権論提唱。自由党設立に参画、代議士。
ルソーの「民権論」などを翻訳。ここに碑があるのは??
   国産マッチの創始者 清水誠之頌。明治初年渡仏してマッチ製造を学び、本所にマッチ工場建設、工業化に尽力した。
 
松梅両殿落成記念三翁句碑。西鶴の他に才麿と素外の句も。
香の風やあるしかしこしうめの花 難波松壽軒井原西鶴
  歌川豊国翁之碑。幹はみな老を忘れて梅の花(とあるそうだ)
浮世絵師豊国の二世、三世の肖像画も刻まれている。
 
芭蕉句碑。「しばらくは花の上なる月夜哉」 他にも句が ↓   梅林。300本を越す梅が植えられ紅白の花が咲きだすという。
 錦帳の鳥世をまなぶ戸やほととぎす 芭蕉の弟子蕉門の十哲のひとり 雪中庵服部嵐雪
名月やそぞろに走る秋の風  嵐雪の弟子雪中庵二世桜井吏登、
かり初に降り出す雪の夕かな 吏登の弟子雪中庵三世大島蓼太  碑文は雪中庵四世大島完来。 碑面からは句は読み取れぬ 
亀戸天神から200メートルほど離れた普門院には、野菊の墓を書いた歌人伊藤左千夫の墓があるので、ちょっと寄り道をした。左千夫は、ここから一キロほど離れた錦糸町あたりで、当時珍しい酪農を営んでいた。  
   
真言宗智山派福聚山普門院善應寺。入口を入ると、正面に木立がかぶさった建物らしい物が……。    木立の中に立つ持経観音像。なにか不思議な存在だ。
亀戸七福神の毘沙門天もどこやらにおいでになるのだが……
   
参道の突き当たりに本堂(?)
扉は何年も閉ざしたままのようで、賽銭箱も見当たらない。
  伊藤左千夫墓。生前に短歌雑誌『馬酔木』を主宰した縁か、墓前には馬酔木の葉が供えられて。 
ここには左千夫の歌碑があると聞いていたので探したが見当たらない。ちょうど住職らしき人が通りかかったので尋ねると、無言のまま、本堂を指さして少し指を左に曲げて示した。本堂の左方の木立にはなにやら廃棄物らしい物が散乱して、その中に?
  牛飼かうたよむ時に世の中のあたらしき歌おほひに起る  伊藤左千夫   

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