軽井沢へ紅葉を探しに-1
高原文庫と横川と

軽井沢の紅葉の見頃と聞いて、あわせて軽井沢ゆかりの文学者の足跡も少し尋ねたいとやってきた。路線バスを当てにしてきたが、まったくわかりにくくて当にはならないことを知った。レンタサイクルは各所にあるが、坂道は頼りないこの足には堪える。レンタカーは相方がお気に召さない。いくつか計画の取りこぼしもあったが、高原の秋を満喫できたのかなあ。
 
 軽井沢駅に降り立つと、「紅葉まつり」と色づき初めたケヤキがお出迎え。   高原文庫。軽井沢ゆかりの文学者の著書や原稿などの資料を展示。文学者の別荘なども移築。
 
 夢はいつもかへつていつた/山の麓の村に
水引草に風が立ち/草ひばりのうたひやまない
しずまりかへつた/午さがりの林道を  
   立原道造       (のちのおもひに)より
   『夏野の樹』           中村真一郎
光を浴びて野中の樹/緑に燃えて金の絵散らし  
しじまの凍る眞晝時/大地に夢を高く噴き出し
白いお前の歌の中/優しく匂ふ乙女の肌 ……
 
堀辰雄の山荘。軽井沢でも古い建物の一つという。暖炉を備えている。壁には杉皮を張り付けてある。  
 
 野上彌生子書斎「鬼女山房」    有島武郎別荘「浄月庵」武郎が情死した建物。
 
塩沢湖の周辺には高原文庫の他に絵本やおもちゃの博物館、植物園、美術館などがあつまるレジャーゾーン。静かな湖面には足踏みの舟から紅葉狩りを堪能しているかの人も。 
駅へ戻って、横川駅行きのJRの小型バスで碓氷峠を下る。標高差470mほど、屈曲した坂道を30分ほどをかける。この日の乗客は私どもを含めて6人。地域の人には大事な足なんだろう。運賃510円。 
 
 信越本線の終点?横川駅。   信越本線の線路はここまで。終点、終着、
 
 駅前の名物の釜飯のおぎのや。資料館もある。   益子焼の器も味も昔のままに。1150円。
おぎのやの店内の掲示に、池内淳子・田村高広主演のフジテレビの連続ドラマ 「釜めし夫婦」の撮影風景の写真、「1億5千万個突破」「55年で地球半周」というビラがあった。釜の直径を足し算したという。
 
 碓氷関所。東門は安中藩、西門は幕府が管理。    東門。門柱、門扉、台石などは当時のもので復元
 
 おじぎ石。この石に手をつき手形を差し出した。   二階建ての 横川茶屋本陣。横川村名主の家。
鉄道文化むら。駅に隣接した鉄道関連の施設設備を集めたテーマパーク。 折角だから500円で入場。 
 
 新幹線「あさま」の運転席に座る。たくさんの計器スイッチ、ハンドルを一人で操作? 神業だ!    蒸気機関車「D5196」先のほうには電気機関車が何台も勢揃い。歴史的名機もあるんだって。
 
 特急「白山EF6310」これも機関車内に立ち入れそうだ。マニアには堪らないだろうなあ。     様々な列車が並ぶその先には、裏妙義の険しい山容が聳え立つ。
 
鉄道資料館では広い模型の線路の上を何台もの列車が走っていた。その他の資料もあるのかな?     列車はやがて終着駅に着こうとしていた。
「次は横川駅停車、構内進行……」清水寥人
 
ミニSL、ミニ電気機関車、トロッコ列車、「あさま号シュミレーター」など子供も向けの鉄道関連の遊具類もいくつもあったが、この日はあいにくの小雨模様。それでか入場者もちらほら。 
横川から軽井沢まで明治21年馬車鉄道開通、明治26年、標高差553mの軽井沢まで11.2kmを26のトンネルと18の橋梁で結んで信越線開通、昭和41年複線電化、そして、平成9年長野新幹線開通で横川軽井沢間が廃線。軽井沢長野間はしなの鉄道に、長野直江津間はまた信越本線だって。  
 
 かつての線路。歯車を噛み合わせて進んだアプトの道が遊歩道として伸びる。歩くと2時間程の由。   招魂碑と鎮魂碑。犠牲になった多くの工事関係者などの慰霊碑。アプトの道の傍らに建つ。 
 
旧信越本線碓氷第三アーチ(通称めがね橋)。明治25年竣工。煉瓦造アーチ橋。長さが87.7m、高さは31m。わが国最大の煉瓦づくりアーチ橋。昭和38年新線開通に伴い廃線。国重要文化財指定。
橋の上は遊歩道「アプトの道」の一部として解放。この日、雨傘を差したご婦人がひとり歩いていた。 
 
旧中山道。(中部北陸自然歩道「上州路碓氷峠の道」)安中の「安政遠足マラソン」のコースだって。   ひとつ脱てうしろにおひぬ衣かへ 芭蕉翁
                     坂本宿八幡宮 
 
 坂本宿の面影を残す代表的な旅籠建物。脇本陣かぎや。屋根看板、懸魚、透かし彫り……。   坂本宿。 宿の口に木戸、街道の中央の用水を挟み本陣2、脇本陣4を筆頭に左右160軒の家並み。
 
小雨の夕暮れの旧軽井沢銀座通り。ご婦人の散策者が道路をふさぐほど。 衣類、アクセサリーの店が目立つ。そして店名もカタカナが8.9割ほど。    今宵の宿「つるや旅館」旧軽井沢銀座の最奥、木立に囲まれた宿。軽井沢一番の老舗旅館。ここは旧中山道の宿場町だが宿は一軒のみ。
 旧軽井沢の町はユニークな見ものである。ちょっと見ると維新以前の宿場のような感じのする矮小な低い家並みの店先には、いわゆる「居留地」向きの雑貨のほかに、一九三三年の東京の銀座にあると同じような新しいものもあるのである。書店の棚にはギリシア語やヘブライ語の辞書までも見いだされる。聖書の講義もあればギャング小説もある。      寺田寅彦「軽井沢」
宿の掲示資料によると、この宿は多くの文学者が利用したそうで、20数人が示されていた。永井荷風、島崎藤村、室生犀星、佐藤春夫、谷崎潤一郎、山本有三、火野葦平、石坂洋次郎…… そして堀辰雄。
静かな離れに長逗留して執筆するのに良かったのだろうか。文学者間の口コミもあったのだろう。 

朝の散歩~碓氷峠へ INDEX

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