笠間を歩く 1 西念寺
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稲田禅房西念寺は、浄土真宗別格本山。流刑の赦免後、越後から当地の領主稲田九郎頼重の招きを受け、親鸞が恵信尼とともに約20年の間住み、布教の傍ら『教行信証』の執筆を進めた稲田草庵の地の寺で、浄土真宗立教開宗の聖地。 | |||
大きな樹木が聳える間の長い石畳の参道を落葉を踏みしめながら山門にむかう。 | |||
鎌倉から室町期の建設とされる茅葺きの山門。山門の傍らに「親鸞聖人教行信証御製作地 浄土真宗別格本山」の石柱。「稲田山」の扁額を掲げる。 | いやたかき鷲の峯間に説く法を 昔ながらにここに移して 北条時頼 「鷲の峯間」は釈尊が経を説いたインドの聖域。 |
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御杖杉。この地に草庵を結び衆生化益の宿願を達せばやと杉の杖を差すと根芽を生じて大木に。 | 神原の井。鹿島大明神が老翁となって御弟子になり井戸を献上するといって大地を叩くと水が湧く。 | ||
ご本堂の阿弥陀如来像は、慶長2(1597)年の宇都宮氏断絶に際して城内より持ち出され、後に遠縁にあたる当山に寄贈されたものと伝わる。左右には親鸞聖人と恵信尼公のお像が安置されている由。旧本堂は、天狗党の乱の余波で焼失。現在の本堂が平成7(1995)年に再建 正面と側面を見る。 | |||
裏山への道を登り 本堂を見下ろす。親鸞は遠くの吾国山を仰ぎ、比叡の峰々に想いを馳せたという。 | |||
。当山第2代の教念は恵信尼の深い思いを息女の覚信尼に伝え、御尊骨を稲田に具し奉ったと伝えられる。門の背後に六角堂がある。 | |||
天保14年建立の太鼓堂。寺に鼓楼とは珍しい。 | 南門を降りると、前は水田が拡がる。 | ||
文暦元(1234)年頃、親鸞は約20年住んでいた稲田を離れ、京都に帰った。名残を惜んで、しばしの間たたずんだと伝えられる見返りの橋。傍らの石に「別れじを さのみなげくな法の友 また会う国の ありと思えば」 と刻む。正面の木立が西念寺。 |