小江戸の川越  その1

川越は城下町、門前町、宿場町、商人の町であったそうな。今や年間約六百万余もの観光客が訪れる観光都市。2009年のNHKの朝ドラ『つばさ』の舞台が川越だったそうで、その時は多数の観光客が押し寄せたそうだ。
 
 小江戸巡回バス。500円の一日フリー乗車券で乗り放題。運転手が観光案内してくれるし、協賛店の割引きサービスもある。JR川越駅を起点に、一周1時間程で観光ポイントを二つの方向のコースで廻る。 私の乗ったコースは街中の狭い道をすり抜けるようにして進む。その最初のポイント「中院」で下車。
 
中院山門。右に「天台宗星野山 中院」
左に「日蓮上人傳法灌頂之地」北院(喜多院)南院を建立した尊海より仏法を伝えられる。
  中院は天長7(830)年、慈覚大師円仁の創立元来星野山無量寿寺の中に、北院、中院、南院の三院があった。(説明版)
 
不染亭。市内にあった島崎藤村の義母の茶室を菩提寺の中院に寄贈移築。その墓もある。 
 
中院は河越茶、狭山茶の発祥の地。慈覚大師が中院開山の折りに、京から茶の実を境内に播いて 薬用として栽培したのが起源だとある。日本に最初にお茶を伝えたのは、栄西だと、昔学んだ気がするが、最初に伝えたのは最澄で、遣唐使として渡った中国から茶の種を持ち帰って比叡山山麓に植えたのが始まりだって。
 
仙波東照宮は、家康の遺骸を久能山から日光へ移葬する際、喜多院に4日間逗留して供養したので、寛永10年(1366)天海僧正が創造した。小山の周りは濠が取り巻き、社殿は石玉垣や瑞垣を巡らしている。左は随神門。石段の上の扉から三つ葉葵の紋が見下ろしている。
「喜多院は淳和天皇の勅願により慈覚大師円仁により創建された勅願所で、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天などを祀り無量寿寺と名付けた。……」江戸時代、慈眼大師天海僧正の意見で徳川家康から寺領48000坪などを下すなどの他、家光、家綱からも焼失した堂塔の復興など手厚い保護を受けたと資料にある。中院の説明と少し違うようだが? 
 
 慈眼堂。慈眼大師天海をまつる。天海僧正は寛永20年(1643)寛永寺で入寂。徳川家光の命で慈眼堂を建築、天海僧正の木像を安置。国指定重要文化財   鐘楼門。階上に梵鐘を吊るす。2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻がある。建立年代は不明とか。銅鐘は元禄15年(1702)の銘があるそうだ。国指定重要文化財 
 
慈恵堂(本堂)比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる。大師堂。中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし毎日不動護摩供を厳修している由。    「どろぼうはし」奇妙な名に惹かれ濠に架かる橋を尋ねると、この橋から寺に逃げ込んだ盗賊が寺僧に諭され、厄除け元三大師に罪を許すように祈って真人間になったって。 
 
 松平大和守家廟所。明和4年(1767)から慶応2年(1866)まで川越藩主であった松平大和守家歴代藩主の墓。川越で亡くなった5人の藩主が葬られている。    紅梅越しの多宝塔。総高13m、方三間の本瓦葺。下層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのる。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れているそうだ。
寛永15年(1639)川越大火で山門を除き堂宇はすべて消失。三代将軍家光は堀田加賀守正盛に命じて直ぐに復興に着手させ、江戸城紅葉山の別殿を移築して、客殿、書院、庫裏に当てた。いずれも国指定重要文化財。拝観したが、室内は撮影禁止。

客殿には6室があるとか。その一室が上段の間で、江戸城にあった頃、徳川家光がここで生まれたということから、「徳川家光公 誕生の間」と呼ばれているそうだ。見事な障壁画が描かれ、甲冑が据えられていた。

客殿につながる書院は4室あり、8畳間の2室には床の間があり、片方の部屋には脇床も設けられているとか。これらの部屋は、江戸城にあった頃、徳川家光公の乳母として知られる春日局が使用していた部屋で、「春日局化粧の間」と呼ばれているそうだ。どんな部屋だったのか、思い返しても広くて何となく薄暗い部屋だったかなあ、そんな気がする。
 
客殿から臨む紅葉山庭園。ほぼ中央のしだれ桜は「三代将軍お手植えの桜」    書院から見る遠州流庭園。見事な枯山水が拡がる。梅の花がちょうど花時かな? 
 

五百羅漢。日本三大羅漢の一つ。538体の羅漢様は、江戸時代約50年間にわたり建立。さまざまな表情をした羅漢様は、いつまで見ても飽きないくらい変化に富んでいて、川越一番人気だって。

   山門。国指定重要文化財
四脚門形式で本瓦葺。棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、川越大火で焼失を免れた喜多院では現存する最古の建物。
 
天海大僧正像。(1536-1643)喜多院27世住職。家康の信頼が厚く、宗教政策の顧問的存在。将軍も度々喜多院を訪れた、とある。    春日局。(本丸御殿の展示) 江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人。
中院や東照宮では観光客は殆ど見かけなかったが、喜多院ではちらほらと見かけた。時期によっては大勢の観光客や参詣者が押し寄せるのだろう。慈恵堂と五百羅漢の拝観は時間にせかされて遠慮した。 

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