松代の童謡ゆかりの地

真田氏の城下町ではあったが、戦前は人口も多分数千ほどの小さな町だっただろう。そんな松代は、草川信、海沼実、山上武夫、坂口淳という童謡の作詞、作曲家を育んだが、そうした土壌がこの地にはあったのだろうか。町内には童謡の歌碑はたくさんあっても、市民は童謡についての関心は余りないように感じた。




信州中野から長野電鉄で50分ほどで、昔懐かしいような松代駅に着いた。駅員が一人ですべてをこなしている。切符も手荷物預かりも貸し自転車も。

2両連結の電車の乗車率は、時間帯の影響もあるだろうが数%。


今夜の宿は、国民宿舎「松代荘」

国民宿舎の利用は今回が初めて。
自分が持っていたおかしな先入観は払拭され、施設も食事も温泉も、それに料金も満足。
加水・加温・循環濾過なしの源泉掛け流しの温泉は、含鉄Na・Ca塩化物泉で、溶存物質が多いために長時間入浴を避けることとあった。


汽車ポッポ
              松代駅前
富原薫作詞 草川信作曲

きしゃきしゃ ポッポポッポ
シュッポ シュッポ シュッポポ

富原薫
 御殿場市生 1905〜1975
草川信
 松代町生  1893〜1948


海津城(松代城)址

無料の貸し自転車を借りて、市内探索に出かける。

この城は信玄が川中島合戦の最前線として築いたのが始まり。
真田信之の上田から移封以来幕末まで真田十万石の城。駅の直ぐ裏手に城址がある。発掘調査をふまえて復元整備をした。ここは本丸太鼓門。


若山牧水
            海津城址

山出て来て 尾長の鳥の遊ぶらむ
 松代町の春をおもふよ

大正14年松代に来た牧水は「梅桜桃李一時に咲く」とて
梅桜真さかりなれや千曲川
  雪解けゆたかに濁る岸辺に
と詠んだが、まさにその通りだった。

蛙の笛

斉藤信夫作詞 海沼実作曲
               真田公園

 月夜の田甫でコロロ コロロ
 コロロ コロコロ 鳴る笛は

斉藤信夫
千葉県成東町生 1911〜1987
海沼実
 松代町生 1909〜1971

春のうた
               真田公園
 野口雨情作詞 海沼実作曲

  桜の花の咲く頃は
  うらら うららと 日はうらら

野口雨情
茨城県北茨城市生まれ 1882〜1945


みかんの花咲く丘

               真田公園
加藤省吾作詞 海沼実作曲

 みかんの花が 咲いている
 思い出の道 丘の道

加藤省吾
 静岡県富士市生 1914〜2000  


子鹿のバンビ
            
真田公園
坂口淳作詞 平岡照章作曲

子鹿のバンビは かわいいな

坂口淳
松代町生 1908〜1974

平岡照章
岐阜県上石津町生 1907〜


やさしいおかあさま

          松代小学校

稲穂雅巳作詞 海沼実作曲 

 わたしがおねむになったとき
 やさしくねんねん こもりうた 
  川田正子の筆跡を刻む 
この学校の校歌も海沼実作曲

稲穂雅巳
 静岡県生  1910~1999



故郷の風景

松代の街(町の方かな)を出外れると、直ぐにこんな風景が拡がっている。
海沼実や草川信らもこうした風景を見ながら育ったのだろう。



法泉寺
「歴史的道すじ」と名付けられた坂道
を登っていくと、畑の向こうの山裾にお
寺が見えた。
曹洞宗の名刹とのこと。


お猿のかごや
               法泉寺
山上武夫作詞 海沼実作曲

エッサ ホイサ エッサ ホイサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
 山上武夫自筆の歌詞が刻まれている。

右の楽譜には「エッサ エッサ エッサホイ サッサ」とある。
山上武夫
 松代町生 1917〜1987  

里の秋
              つつみ公園
斉藤信夫作詞 海沼実作曲

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の落ちる夜は

海沼実はこの付近で生まれた。
町の人の多くがこの小さな公園の場所を知らないのが不思議だった

斉藤信夫
 千葉県成東町生 1911〜1987。


見てござる
                
梅翁院
山上武夫作詞 海沼実作曲

村のはずれの おじぞうさんは
いつもにこにこ 見てござる

山上武夫、海沼実は 松代町コンビ

中山晋平の故郷     歴史の町松代を歩く

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