高野辰之の故郷
「兎追いしかの山……」など、今なお親しまれている小学校唱歌の数々を作詞して、世に送り出した国文学者高野辰之。彼が生まれ育ったのは、長野県下水内郡永江村、後に豊田村、そして今は中野市。中野市の市街地とは千曲川を挟んだ対岸になだらかに拡がる傾斜地。今なお自然豊かな農村。
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長野新幹線から長野電鉄に乗り換えて、千曲川を渡って中野市に向かう。
遙か遠くの山々から集めてきた水が、穏やかな流れを作っていた。
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幸い天気に恵まれた。
広いりんご畑などの向こうには、飯縄、戸 隠、黒姫、妙高などの山が雪を頂いて見え る。
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千曲川を渡って、元豊田村の坂道を登っていく。
ここは高野辰之のふるさと。
千曲川の遙か遠くの山並みはどこの山なんだろうか。
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高野辰之
1876〜1947.
国文学者、文学博士
東京音楽学校教授などを歴任。
文部省小学校唱歌教科書編纂委員に委嘱され、作詞委員として数々の唱歌を生み出す。
そのほか数々の校歌などを作詞。
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高野辰之が学び、また教鞭を執った永田尋常小学校跡に記念館がある。
見晴らしのよい斜面に学校はあった。当時の門柱もそのまま残されて。
書簡、著書、唱歌集などが展示されて、業績を細かに紹介している。
音楽室もあるのは異色。
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「故郷」
高野辰之作詞 岡野貞一作曲
兎追いしかの山 小鮒釣りし かの川
開校百周年記念碑として、偉大な先人の作品を刻んだのだろう。S49年。
岡野貞一は鳥取市出身。
高野の同僚で、作曲委員として高野と共に教科書編纂に当たる。
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紅葉
高野辰之作詞 岡野貞一作曲
秋の夕日に 照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
記念館の収蔵庫の白壁の前に
代表作の一つが。 |
かの山
左は熊坂山、右は大平山。兎を追いかけた「かの山」は大平山だと図解して説明されていた。
きっと生前に、辰之本人に聞いたのだろうから、疑ってはいけません。
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高野辰之博士の生家
記念館から大平山に向かって坂道を登っていくと、道の角に生家があった。
ちょうど桜が満開のようだった。
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朧月夜
高野辰之作詞 岡野貞一作曲
蛙のなくねも、かねの音も
さながら霞める、朧月夜
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真宝寺鐘楼
「朧月夜」に歌われている「かねの音も」は、ここ真宝寺の鐘の音だという。
生家から200m程だから、当然辰之も聞いたのだろう。
蛙もこの近くの田の蛙かも知れないが、この辺りは畑や果樹園ばかり。棚田もあると聞いたが見あたらなかった。
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ふるさと橋
真宝寺を少し先の班川に架けられた橋。
欄干にメロディパネルがあり、順番にたたくと「ふるさと」の メロディが演奏できる。
私も演奏してみた。通る人もなく、辺りの畑や森に澄んだ音が響き渡った。
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「かの川」
ふるさと橋の下は「ふるさと散歩道」という遊歩道になっている。
班川にそって、せせらぎを聞きながら、ゆっくりと春の情緒を味わうのも良いものだ。
小鮒を釣った川ということだろう。
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春の小川
高野辰之作詞 岡野貞一作曲
春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
斑川が歌の「小川」とは説明されていないが、何となくそんな感じ。
すみれもれんげも咲いていなかったが、小川はさらさらと流れていた。
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道
川沿いの道。多分辰之が散歩をしたであろう畑道、と勝手に想像してみた。
どんどん下っていくと、やがて千曲河畔に通じるのだろう。
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