須坂から奥山田の宿へ

松代から再び長野電鉄に乗って、須坂まで行く。そこからバスで山田温泉へ、更に送迎のバスで奥山田温泉の宿へ。

須坂市は江戸時代は須坂藩主堀氏の「館町」として繁栄したが、明治からは製糸業で隆盛を極めた「歴史と自然の香る街」だとパンフレットにあった

馬車よ
 ゆっくり走れ

        魁夷

文字の下に馬車の絵が刻まれている。
日本画家東山魁夷と須坂の縁は知らぬが、街の交差点に建つこの碑は、今の時代にも警告を発しているのだろう。
故郷に似たる山を
   かぞへて月見哉

            一茶

ここから行く山田温泉のある高山村は俳人小林一茶が晩年頻繁に訪れた地として知られて「一茶の里」という資料館も建てられている。
 
この句はここで月見をしながら詠んだものだろう。


蔵の町
  明治から初期に建てられた蔵造りの建物が幾つも保存され、また外観を蔵造りに改修するなど景観保持に努めている街。

街を歩いていると、多くの道路も整備されて、美しい町並みという印象を持った。、
墨坂神社

観光案内所のお姉さんが、ここの桜が見頃ですから、と薦めてくれた。

確かに桜は満開だった。勿論、見に来る人は誰もいなかった。

臥竜公園という桜の名所もあるが、ちょっと時期が早かったようです。
山田温泉

須坂からバスでりんご畑の斜面を登ること、約40分で到着。ここは開湯200年の温泉地で、宿が10軒ほど。

写真の右手は、ぬる過ぎる足湯、正面は、共同浴場「大湯」 
入浴料300円

ここで宿の送迎を待っていると、雨が降ってきた。
山田猿湯        
               山田温泉
春風に
 猿も親子の
    湯治哉
        一茶

高山は一茶が晩年頻繁に訪れた地で、多くの門人たちは一茶を温かく迎え熱心に教えを受けていた。
それゆえ「父の終焉日記」のほか、「花春帖」の原本など数多くの遺墨が伝わっているそうだが、

山頭火句碑
               山田温泉
つかれもなやみも
 あつい湯にどんぶり

ここの温泉には、小林一茶、、種田山頭
火、森鴎外、与謝野鉄幹、与謝野晶子、
若山牧水など多くの文人が訪れたことが
ある。

太田水穂歌碑
            山田温泉
  此のゆふへ
     外山もこゆる
       秋かぜに
   椎もくぬぎも
     音立てにけり


小林一茶句碑
               山田温泉

梅が香よ 湯の香よ さては三日の月


種田山頭火句碑

霧の底にて啼くは筒鳥
奥山田温泉 「満山荘」

山田温泉から更に20分ほど、車は曲がりくねった山道を登っていく。

間もなく雨が雪に変わって、あたりが真っ白に塗り替えられた。

昭和54年開湯。標高1550m。笠ヶ岳斜面に牧場やスキー場もある。
日本秘湯を守る会の宿
10畳のゆったりとした暖房の効いた部屋から、アルプス連山が見える(筈)

部屋から白根山系の黒湯山が見えたが
やがて真っ白に塗り替えられた。

雪のちらつく中を岩燕が飛び交う姿が小さく見える。
露天風呂から遙かに雪山が

源泉72℃ 単純硫黄泉。
加水加温なし
露天風呂はぬるくて長湯はできなかった。
北アルプス連山の眺望

宿から80km先のアルプスが運がよいと見えるというのが宿の自慢だが。見事な景色を堪能。

北は小蓮華から南は穂高まで、また飯縄、妙高、戸隠も見えると言うが、どれがどれだかわからない。
路線バスなぜか突然バックした

不思議に思ったら、「カモシカ」だという。見ると人家の脇の畑によく太った獣がいた。

車が来ても逃げもしない。よくよく人間慣れをしているだろう。この辺りではよく見かけるのだという

4,歴史の町松代を歩く       5,ちょっと長野へ  

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