古河公方ゆかりの地を訪ねる

埼玉・群馬・栃木三県に接する茨城西部端の古河市の古河公方公園で、花桃が咲き出したと聞いて出かけてみた。例年だと出店の列が伸び、様々な催し物があるそうだが、今年はコロナウィルスのため一切なしの静かな花見だった。
 
 これはソメイヨシノ。桃に少し遅れて咲くのに気の早い桜だ。   花桃もちょっと早すぎたのかな? 来園者もまばらだ。 
 
 古河公方? 足利尊氏-基氏-氏満-兼満-持氏-成氏-政氏-高基-晴氏-義氏-氏姫 。太字が古河公方。
 
 御所沼。御所の森をぐるりと。    水鳥の楽園。渡良瀬川が数100m。繋がってるのかな?
 
 古河公方館跡。私邸? 古河城は渡良瀬川のあたりか?    館跡は雑木林いの覆われて、建物の跡らしい処はない?
 
堀の跡のよし。 三方を沼が取り巻き、その一方の間に堀。   陸地で繋がるところには土塁の跡。
 
周りを桃林に囲まれた一角に,杉などの木立に囲まれた一角がある。 標柱に「古河公方足利義氏墓所」 徳源院跡
 
 足利氏姫(徳源院)の石塔。    古河公方義氏公墳墓。右方の盛り土の処らしい。
 
足利義親の石塔。氏姫の子天寿院。    石ドウ(巾+童)七地蔵を刻んだ旗?
古河公方? 公方=室町時代以降征夷大将軍。そんな人が何故古河に? 執権上杉との幾度の対立から古河を本拠地として上杉と戦うつもりで移したのだろう。古河城は渡良瀬河畔に位置し、戦略的に重要な地点だったようだ。
以後政氏、高基 晴氏 義氏と続く。義氏の子氏女(うじひめ)別流の国友次いで頼氏と婚姻し子義親。孫の尊信が喜連川へ…  
 館跡に隣接し、古民家二軒を移築。懐かしい農具や生活用品など展示。 徳源院に近く若杉鳥子・長塚節の歌碑、大賀蓮の池も

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