大和郡山ちょっと散策

大和郡山は奈良市の南で、天理市、斑鳩町を東西に隣接する。新幹線京都駅から奈良線で奈良へ。奈良から関西本線を数分で郡山駅に達する。ここではレンタサイクルを利用する予定だったが、天気予報がずれて小雨模様。やむなくタクシーで少し回ってみた。

ここは郡山城の城下町。室町末期に筒井順慶が城郭造りに着手。その後、豊臣秀吉の異父弟・豊臣秀長が100万石で城主となり本格的に築城がされ、城下町も整備される。その後城主は増田、水野、松平、本多と変わり、享保9年、5代綱吉の側用人を務めた柳沢吉保の子吉里が甲府から15万石で入府、明治まで続く。
 
 臨済宗妙心寺瑞龍山良玄禅寺(雲幻寺)。
郡山城主本多政勝の菩提寺。
  良玄禅寺芭蕉句碑。
「けふはかり人も年よれ初時雨 はせを」
 
高野山真言宗 如意山春岳院。豊臣秀長の菩提寺。    大納言豊臣秀長肖像画(春岳院蔵)
 
郡山城大手向櫓。(復元)   追手門 (いずれも戦後に復元)
 
 城址会館。M41年築元県立図書館。   「菜の花の中に城あり郡山」 (森川)許六 
 
「ぼうせきの煙突」 小野十三郎
 たそがれの国原に だた一本の煙突がそびえている。
大和郡山の紡績工場の煙突である …… 
  大和また新たなる国田を鋤けば (山口)誓子
 
 
 城址にふさわしい四阿。何かいわれでもあるのだろうが説明はない。   柳沢文庫。柳沢家所蔵の書画など郷土資料を保存。
 
毘沙門郭から本丸への道。左下には竹林橋門跡。    柳沢神社。柳沢藩の開祖、柳沢吉保を祭神として祀る。
 
 天守台跡。標高82m東大寺等も見えるとか。   幾重もの濠で城を囲む。ここは内堀。
 
 さかさ地蔵 。天守台の石垣に組み込まれた多くの地蔵など。平城京羅城門の礎石、庭石、五輪塔、寺院の礎石などかき集めて築いた野面積み 。お地蔵様には花が供えられている。
 
 むら立ちて咲く蓮のはなそと濠の
 たかいし垣に朝日照りつつ (土田)耕平
  岡こえて城のみ濠は遠からず
  朝咲く蓮を見むとわが来し  土田耕平
 
永慶寺山門。郡山城の南門を移築。郡山城唯一の遺構。安土桃山時代の建築様式。    黄檗宗龍華山永慶寺。柳澤吉保の子吉里が甲府から移した柳澤家の菩提寺。
 
永慶寺 阿波野青畝句碑
山涼しみやこ忘れと聞くからに 青畝
  永慶寺 森田峠句碑
金魚田のありとも見えず町繁華 峠  
 
永慶寺 高浜虚子句碑 
秋雨や俥なければ歩くまで 虚子
   大納言塚。大和大納言秀長の墓所。
天正19年、秀吉に先立ち郡山城内で没。
 
秀長は兄秀吉を陰で支え、軍事内政の面で絶大な貢献を果たし、人望も高かったそうだ。    願いの砂。願い事を云いながら石の箱に砂を3回通すと願いを秀長が聞き届ける由。
大和郡山市は愛知県の弥富とともに金魚の大生産地として知られる。郡山の金魚は柳沢吉里が甲府から転封して来た時、その家臣の一人が持ってきた金魚が始まりだとか。幕末には、藩士の副業としても養殖に力を入れた。ちなみに弥富の金魚は、郡山の金魚商人が熱田の宿を目指す道中、弥富の田で金魚を休ませたのが始まりだそうだ。
郡山の金魚の生産高は、環境悪化で減少しており、養殖農家60戸で年間5800万匹が生産されている。(市資料) 8月には全国金魚すくい選手権大会も開催されて賑わうそうだ。 
 
 大納言塚の南一帯に養殖池が広がっている。以前HNKの「家族に乾杯」で出演の二人が当市を尋ねていたことを思い出した。   金魚資料館。いくつもの生け簀に種類や大きさの違う金魚が飼われている。 館内には水槽で多種の金魚が展示されていた。
 
1匹10000円の金魚。「1万円!」と驚いていたら、「5万、10万の金魚もあるよ」と係の人。     郡山では道路でも金魚が泳いでいた。「でめきん」かな?
  秋暑き里に移りすみ養魚池の臭ふ端居を妻とかなしむ
 金剛の山の頂のともし火は星夜のそらにまじはりて見ゆ    土田耕平
  アララギ派の歌人・童話作家の土田耕平は、昭和初期、養魚場の多いこの地に仮寓する

須磨を尋ねる その1   INDEX

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