小石川植物園
 

小石川植物園は、正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」という、植物学の教育・研究を目的とする東大の教育実習施設で、一部を除き一般にも公開されている。
約320年前の貞享元年(1684)に、徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」がこの植物園の前身。明治10年に東大が設立されると共に、直ちに附属植物園となり一般にも公開。面積は、161,588m2(48,880坪)。この植物園は日本の近代植物学発祥の地でもあり、現在も自然誌を中心とした植物学の教育・研究の場となっている。
 
 東大から直線距離で1.2kmほど、小石川後楽園からも1kmあまりの台地から、傾斜地、低地に掛けて広がる。入園料330円。   「精子発見のソテツ」1896年東大池の助教授が発見したゆかりのソテツ。「初期の近代植物学上の偉大な業績」だそうだ。
 
 園内を楽しそうに遊んでいる親子連れ。    植物園本館。植物標本を約70万点収納。
 
「メンデルの葡萄」遺伝学の基礎を築いたメンデルが遺伝の実験に用いた葡萄の分株。     「ニュートンのリンゴ」万有引力発見にちなむニュートンの生家のリンゴの接ぎ木の分譲。
 
「公開温室」温室の一部が公開され、各種の草花が育てられている。    この時期だから花は少しだけ。
「レリア ペリニー」ブラジル と名札にある。
 
 「Catteya Portia」    「バニラ」 ラン科 熱帯アメリカ
 
 「イロハモミジの並木」
紅葉には少し時期が早すぎたようだ。
   「薬乾場跡」御薬園当時、薬園奉行の役宅の竹矢来に囲んだ薬草を乾燥する石畳跡。
 
「精子発見のイチョウ」1896年平瀬助手がこの木の種から発見。近代植物学発展の最大の貢献 。老夫婦が銀杏を拾い回っていた。    「ボダイジュ並木」 こんな木だったのか!
”泉に添いて茂る菩提樹 したいゆきたは うまし夢見つ……”
 
「サネブトナツメ」享保12(1727)中国から輸入した「酸棗」という薬用植物。    カリン林や針葉樹林、松林、ユリノキ、ウメ林、ハンノキ並木……、とても回りきれない。
 
「関東大震災記念碑」大正12年の大震災の時、焼け出された3万以上の人がここに避難。一部はここの救護所で生活をしていた由。   「ツュンベリーのマツ」 スエーデンの植物学者・医者。1775年出島に来航。江戸参府に同行して植物を調査、「日本植物志」を著す。
 
 「日本庭園」徳川5代将軍綱吉が幼少の頃住んでいた白山御殿の一部とか。滝、石橋、飛び石などあり、静かな別天地の感。    「旧東京医学校本館(現東大総合研究博物館小石川分館)」東大の前身東京医学校時代の建物である。 国重文指定。
 
 「旧養生所の井戸」小石川養生所は享保7年から明治維新まで貧困者を救済。量質共に優れた井戸は、大震災の時も飲料に役立つ。    「分類表本園」主に東アジアの500種を分類体系に配列する。オトコエシ、オミナエシ、メイカズラなどの名前も見かけた。
 
 「薬園保存園」江戸時代の御薬園時代に栽培されていたコガネバナ、オウレン、スオウなど約120種の薬用植物を栽培・展示。   「東京大学植物園ののど飴」東大と摂南大の共同企画。園内のカリン、銀杏、ゆずを原料。収益は植物園整備の資金に充当。300円。 
今再放送中のテレビドラマ「大岡越前」には、毎回必ず登場して、真相解明のため大岡越前(加藤剛)に協力する小石川療養所の医師榊原伊織(竹脇無我)が登場するが、実在か否かは知らないが、彼がここにあった養生所にいたとは。南町奉行所があったのは、有楽町駅あたりだそうだが、養生所から5.6km程。行ったり来たりした昔の人はみんな健脚だったんだろう。  

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