下野の薄墨桜が花開く
淡墨桜とは、岐阜県本巣市の淡墨公園にある樹齢1500年以上のエドヒガンザクラの古木で、三春の滝桜、山高神代桜とともに日本三大桜と言われる巨木。日本天然記念物指定の名木。滝桜と神代桜は訪ねたがこの根尾谷の薄墨桜は未だ訪ねる機会に恵まれないでいる。

そんな折り、知人から栃木県に薄墨桜があって、今丁度満開だと聞き、「栃木に薄墨桜?」と半ば奇異に感じながら、晴天に恵まれた3月30日に出かけて見た。  
 
 ところは下野市天平の丘公園。この地域は、天平時代に国家鎮護のため聖武天皇によって国ごとに建てられた国分寺と国分尼寺のあったところ。その跡は発掘調査されて史跡として保存され、資料館も建てられ、一帯は天平の丘公園として整備されている。薄墨桜が植えられているのは、下野国分尼寺跡公園(尼公園)。   なぜ薄墨桜が下野にあるのかと思ったら、公園の入り口に次のような説明があった。「岐阜県根尾村にある国の天然記念物に指定されている淡墨桜の実生苗を当時の根尾村老人クラブから譲り受け、昭和60年3月に当時の国分紫の老人クラブにより当公園に移植された。実生からの開花はむずかしいと言われていたが、昭和63年4月15日に開花した」
 
 何年の苗を譲っても貰ったかわからぬが、10年苗としてもう35年も経つと、巨木になる。あやふやな目測だが、大きな樹は幹回りは一抱えもあり、樹高は10m余、枝も10m近く広がってなかなか見応えがある。   この桜は蕾のときは薄いピンク、満開になると白色、散りぎわには特異の淡い墨色になる ので「薄墨桜」と名付けられているそうだが、まだまだ薄墨色にはなっていない。
 
 花見客は十数人程度で、平日のためか年配の人が多く、あとは犬と幼児だけかな? だれも温かな日差しの中をゆっくりと桜を堪能しているようだった。   国分尼寺は北に向かって、南大門、回廊で結ばれた中門と金堂、講堂をはさんで経蔵と鐘楼、その奥に二つの尼房があったことが確認されたとある。 
 
 中門跡から、薄墨桜を独り占めでカメラを向けている。    講堂跡から。7本の薄墨桜が遺跡の周りに咲いている。
 
「 須磨浦普賢象」と名札が懸かっていた。    須磨浦普賢象。
 
 しだれ桜。これも満開かな。    しだれ桜。
 
「 紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば
  人妻ゆえに我恋ひめやも 」  大海人皇子
   尼公園に隣接した雑木林のなか「防人の道」この地方からも多くの防人が旅立ったのだろう。
 
 木立に掛けられた万葉の歌。あちこちにある。
「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出て立つわれは」     下野火長 今奉部与曾布
   雑木林の外れの桜。ずいぶん大きい樹だが、植えたのか自然の植生か。
 
 前方後円墳。但し模造した展望台。すぐ近くには県内最大の前方後円墳の琵琶塚古墳などもあるが。    公園内には万葉植物園や紫式部の墓もある。紫式部の墓は京都の街中にあるが。

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