東京目黒 駒場公園へ 

駒場公園は東大農学部があったが本郷の前田邸と替え地をして農学部は本郷へ移り、旧一高と分割使用して、前田第16代当主である前田利為侯爵邸が移ってきた。侯爵はロンドン駐在武官であったことから、外人客接待用に昭和4年に洋館を、翌5年に和館を建築。戦後進駐軍に接収され、リッジウェイ司令官の官邸などに使用され、後、国、都を経て、今は目黒区立公園となった。
今月(5月)の17日、文化審議会は足利市の鑁阿寺本堂を国宝に、旧加賀藩主前田家本邸など9件の建造物の重要文化財指定を答申した。答申内容は洋館、和館、渡り廊下、和館の門と塀、公園、尊経閣、正門及び門衛所。
 渋谷から京王井の頭線で二つ目東大駒場前駅。
線路と道路を挟んで東大の建物が「聳える」
ちょっと覗いたら,体育の授業かな、天下の秀才達がハンドボールに興じていた。
北面の旧前田侯爵邸正門。右に門衛所を構える。他に東門と南門がある。公園だが、午前9時から午後4時30分まで開園。毎週月曜は休園だって。  尊経閣.。前田家伝来の書籍、工芸品など国宝22件・重要文化財76件を含む資料が研究者限定で公開。
日本近代文学館は図書や雑誌を中心に、数々の名作の原稿も含め、107万点の資料を収蔵する。遺族の寄贈の文庫や篤志家のコレクションが 145点もあり、他では眼にすることのできない貴重な資料を所蔵。常設展や企画展でもその一部が閲覧できる。
日本近代文学館 正面。閲覧室、展示ホール、ホール等の部屋があり、何れも有料で利用できる。  本屋?、いえ喫茶室BUNDAN。店主の蔵書を閲覧に供す。「宇野千代のソボロカレー」で昼食。
旧前田侯爵邸和館。木造二階建ての近代和風建築。洋館とは渡り廊下で繋がる。非公開の二階と有料利用の数寄屋造の茶室も備える。一階の二つの部屋の周囲を畳み廊下が取り巻く。戦後一時期、米軍リッジウェイ極東司令官が居住していたそうだが、まさか布団を敷いて??
 和館かぶき門。文学館と隣り合わせに巨木に囲まれて建つ。この門も塀も国指定登録文化財に  玄関を通ると、ここは「御次之間」縁側に座して、深い山林を背景にした庭園にひたるお二人。
 伝統的書院造の「御客間」床の間、違い棚、付け書院もある。御次之間とあわせて40畳も。  自然林を背にして滝や池、銘石などを配した庭園
水琴窟もあるとか。
 洋館は建築面積が11294m2の地上3階地下1階の鉄筋コンクリート造り。外壁はスクラッチタイル貼でアクセントに石材を利用。屋根が銅板葺。機能性を重視し、当時の最新技術を駆使した建築で、上流社会の生活を偲ぶことのできる文化財だって。延べ床面積2930m2(887坪)電話が8本も引かれていた
部屋数はいくつか、資料で数えてみると1.2階だけで30室ほどが中庭を取り巻いている。
 我が家には勿論ない「従者室」と「女中室」が3室あり、3階と地下を合わせて50室はあるのかな。
洋館。手前の車回し越しに車寄せや尖塔をみる。   旧応接室。喫茶室に利用していた。
旧サロン。イタリア産大理石のマントルピースが各室に複数備えられている。  旧サロン。大小二室ある。壁紙はフランス産の絹織物や壁紙を貼る。
旧大食堂。 何人が食事できるのだろう。広いよ!  階段広間。寄木張りの床、漆喰の壁。
 旧長女居室。ここにはマントルピースが三つも。  旧当主書斎。写真とは家具が違っているが。
旧寝室。 当時はイギリス家具。これはその頃の?  旧夫人居室。次女、三男、三女の居室もある。
 洋館の南側は山林に囲まれた広い芝生広場。樹木に囲まれた薄暗い和館の周辺とは異なり、ここは明るく日光が降り注ぐ。洋館の南面近くに何やら人だかり。近づいたら、映画のロケーション。多分明治期の物語かな?暴漢とおぼしき男が洋館を指して走り寄ろうとすると、木陰の刑事が飛び出して…
9月公開予定の山田勇男監督の「シュトルム ウント ドラング」のロケだって。
 マイクやカメラを待ち構え、「ヨーイ」を待ている。  洋館の応接室やサロンに面した南面。
日本民芸館は、”「美の生活化目指す民芸運動の本拠として、思想家柳宗悦が企画、実業家の大原孫三郎」等の援助で1936年に開館。所蔵品は陶磁・染織・木漆工・絵画・金工・石工編組など、柳の審美眼で選ばれた古今東西の諸工芸品が約17000点。” 西館は特定日のみ公開。
本館。西館の石屋根長屋門に合わせ細部まで柳が手がけたそうだ。 8つの展示室を駆け足で廻る  玄関の外から内部を見る。柳のこだわりが見えるかなあ。内部は撮影禁止。アイヌ工芸には驚く。
西館(旧柳宗悦邸)。栃木県から移築した明治初期の長屋門と母屋 。屋根瓦と腰板は大谷石。  西館脇の小さな五輪塔と石仏。梵字を刻む左端と何やら模様を刻む中央の碑。なんだかわからぬ。

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