益子へ茶碗を買いに

愛用の湯飲み茶碗を割ってしまったので、益子へ茶碗を買いに行ってきた。益子は栃木県の東部、八溝山地の西麓に位置する。幕末、大塚啓三郎が笠間の久野窯で修行し、益子の土を用いて瀬戸物を焼き始める。当時の黒羽藩の保護、奨励、優れた陶土を産出すること、江戸に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など雑器類の産地として発展をする。
大正末期に民芸運動を推進する陶芸家浜田庄司が移住してきて、「益子焼の素朴な製法と伝統的な美しさを昂揚した」ことで、陶芸を志す人が集まるなどして、一層盛んになり、広く世に知られるようになった。
 
共販センター。各窯元の製品がここで販売されている。各窯元でも買い物はできるが、芸術品は別として雑器はここが便利。   入り口で大きな布袋(?)様がお出迎え。念のため益子焼かと聞いたら、中国製でお値段85万円也。「如何ですか」って? 金も場所も趣味もない。
 
広い店内は様々な器がずらり。片隅には地元の珍しい農産物や菓子などのコーナーもあった。     益子伝統の釉薬見本。並白、柿釉、青磁などが私のお好みだが。
 
 奇妙な器はビールサーバー(?)だとか。下戸の私には何をする物かとんと見当も付きません。   器の中央に小穴のある円い凸部は「剣山」。つまり剣山の要らない花器です。 売れる??
 
共販センターの隣の小山に「益子陶芸美術館」
「陶芸メッセ・益子」の看板。「本日休館」だって。 
  坂道をちょっと登ってみた。陶芸館の東門を通り抜ける。 
 
東門の奥建物が陶芸館かな?人間国宝島岡達三展が開催中だが、本日休館。     御城山の頂上は史跡広場。戦国時代の益子氏の居城跡。ここは「本郭」だったとか。
 
木立の間から益子の町並みが少し見えた。    益子町の花「やまゆり」があちこちに花盛り。 
 浜田庄司。(1894―1978)川崎市生まれ。板谷波山に師事し、河井寛次郎を知る。バーナード・リーチに同行して渡英し親交を深め、帰国後、益子に移住築窯。大正末期より柳宗悦らと民芸運動を推進、柳の後を継いで日本民芸館館長に就任。民芸陶器の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、文化勲章を受章。益子に没す。益子参考館は「濱田庄司の自邸・工房の一部を活用し、彼が生前に蒐集した品々と自身の作品をはじめ、僚友であった河井寛次郎、バーナード・リーチらの作品等を展示」しているそうだが、この日は休館日。  
 
移築した浜田庄司旧宅。今日は休館。堂々たる建物。横20m以上、奥行き 10mほどの堂々たる建物。
この建物で数々の名品を生み出したのだろう。建物脇の薪は、登り窯の燃料。 
 
移築された登り窯。イベントの時は火を入れるとか   登り窯の脇に紫陽花がまだ花盛り。 
 
 陶芸工房。浜田旧宅の隣にある。予約制でロクロ・手びねり・絵付の体験ができる。勿論本日休店。   蕎麦処「つかもと」一昨日開店したばかりの蕎麦屋坂道の先に門を構えた民家があった。 
 
大きな古民家。中央の大黒柱に手を回したが、両指先が届かない。     なめこおろし大根蕎麦。730円。益子の蕎麦粉に益子の器。水切りしない蕎麦は初めて食べた。?
 
島田恭子作「桜文花器」 420,000円    浦口雅行作「花生」 左33.1万、右29.4万
 
 島岡達三作「灰被縄文象嵌壺」 1,470,000円    浜田庄司作 「塩釉鉄絵花器」2,900,000円
 
 塚本窯。ここでは手びねりや絵付けの体験ができるそうだ。見学もできるというのでコースに沿って。   ろくろ成形はおやすみ。二人のご婦人が箸置に釉薬を掛けていた。 
 
 登り窯。今は退役。3~5昼夜赤松の薪で焼成。   現役のガス窯。三つばかりあったが本日休止中。 
信越本線を通る度に必ず買っていた横川駅の名物「峠の釜めし」の釜は、ここ塚本窯の機械化された工場で作っている。今日は休止中で機械も動かないが薄暗い工場内を一巡り。  見学コースとなっているが、作業員もいなければ説明板もない。釜飯の釜を重い思いをして持ち帰ったこともあるがどうしたか?
 
 ここは釜飯の釜の専用工場。検査以外は全自動    石膏の型に入れて成形。網の向こうに石膏型。
 
 成形の終わった釜。乾燥中かな?    釉薬を掛け焼成前か後か。完成したのかな?
 
 完成の釜。「横川駅」「おぎのや」の文字が読める    買い求めた湯飲み茶碗など。当分間に合う。
 目的の買い物はできたが、見学できる各施設は祝日の翌日でどこも休館中。改めて出かけて行きたいが、そんな機会があるだろうか。 

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