美濃路に照手姫を尋ねる1 墨俣へ

岐阜羽島から長良河畔を北上し、先ず大垣市墨俣に行った。ここは揖斐川と長良川に挟まれて、水陸の交通の要衝で戦略上の重要な拠点でもあった。平安の昔には平家の平重衡の軍と、源行家や義経の兄の源義円らの源氏の軍との戦乱のあった場所でもある。信長はこの重要地点の築城を秀吉に任せると、見事その責めを果たして、秀吉はここを預かる武将に大出世。
 
 新幹線岐阜羽島駅。ここは政治駅といわれた記憶があった。   駅前の大野伴睦夫妻の銅像。郷土の大恩人だ。
 
長良川に沿って国道を北上する。   長良川と犀川の合流点の「太閤出世橋」を渡ると、 
 
なんと4層の天守閣。まさか一夜で?? ここは資料館です。    甲冑姿の秀吉像が橋の正面に睨んで?いた。
 
足軽頭に過ぎない木下藤吉郎は、永禄9年9月12日に着工、昼夜兼行で14日に完成、翌15日に信長入城し、美濃の斉藤攻略に重要な役割を果たす。野武士3千、人夫1千人、長屋10棟、塀2千間、背後の馬柵が5万本一夜のうちに塀櫓を押し立てた。
 
 秀吉にあやかれるようにとの「絵馬?」 資料館で販売   太閤秀吉 出世の泉。 一口飲めばよかったかな? 
 
かりの世のゆきゝとみるもはかなしや
 身をうき舟の浮き橋にして 阿仏尼 (十六夜日記) 
  春くればうぐいすのまた梅に来て
  みのなりはじめ花のおわり 西行法師  西行の歌??? 
墨俣の一夜城と照手姫とは全く関係が無いけれど、直ぐ近くの小栗判官と照手姫ゆかりの地への途上の寄り道。  

 安八から青墓へ  大垣で  関ケ原古戦場  不破から柏原へ INDEX

inserted by FC2 system