鼠ヶ関を歩く   鼠ヶ関から村上へ 1

以前、おくの細道を辿る旅をしたが、酒田から柏崎まで飛ばしていたので、その間をちょっと辿ってみたい、それに奥州三関のうち、未踏の関を尋ねたいと思って出かけてみた。天気は曇りでそれほど暑くはないが、ピンぼけ写真が一層寝ぼけてしまった。
 
 新潟から羽越線を特急稲穂号で温海温泉に向かう。乗客は?   昼食は「鮭の焼漬弁当」
 
車窓に広がるのは、米どころ越後平野。     村上を過ぎると、景勝「笹川流れ」が……。
 
 人影も見えない温海温泉駅。「山海の幸に舌鼓…」いいなあ!    2キロほど山地進むと、名湯温海温泉。今回は諦めて
芭蕉は陽暦8月11日、温海に宿泊。でも温泉には行かず。翌12日、馬で鼠ヶ関へ趣く。(曽良旅日記)  
 
近世鼠ヶ関址。「 勧進帳の本家」の標柱がひそやかに。   史蹟念珠関址 内務省。お国が認定した史蹟というわけだ。
鼠ヶ関には近世と古代とふたつの関址がある。ここは1622年以降に整備されたというから、芭蕉一行も通ったのだろう。残された絵図に木戸門や柵、番所などが記されている。街道の取り締まりの他に、沖を通る船の監視や港の取り締まりもしていたそうだ。 
 
念珠の松庭園。400年前、盆栽の松を地植えにした。全長20m。臥竜の松とも言ったそうだがなるほど。県天然記念物。  
 
 厳島神社。海へ突き出した砂嘴に鎮座。海の安全を守る神   「源義経ゆかりの浜」碑。平泉に向かう義経がこの浜で上陸。 
 
 突端部の弁天島を一周する遊歩道。夕日の眺望の適地かな   鼠ヶ関燈台。地上から14.1m、海面から21m、光達距離23km。 
 
源義経上陸の地。村上元三書。大河ドラマ「源義経」の原作者   鼠ヶ関港。マリーナ、マリンパーク、キャンプ場、海洋センターも
歌舞伎「勧進帳」能「安宅」には、義経が関所で怪しまれ、それを逃れるため弁慶が義経を打擲、関守は弁慶の忠義心に感じ入り義経と知りつつも関所を通るという名場面の舞台は、石川県の安宅の関とされる。一方、室町初期にだされた「義経記」には「念珠の関守厳しくて通るべき様もなければ…」、義経に荷を負わせ義経を打ち付け「関守どもこれを見て、難なく木戸を開け…」
村上元三の大河ドラマでは「安宅」。「義経記」には、もう一つ名場面の舞台が書かれている。富山県高岡の小矢部川の「如意の渡」でも見咎められ、弁慶が打ち据えて川を渡ったとある。どこもみんな「 勧進帳の本家」なんだろう。  
 
鶴岡市の「鼠ヶ関みどころマップ」には「義経・弁慶が宿泊した家」がある。 地図を頼りに探したが見当たらない。通りかかった地元の人に聞くと、「あのブロック塀の家だ」。「宿泊地」ならまだしもなんと「家」とは。付近には表示は何もない。  
 
 山形県と新潟県の境。標柱がなければとてもわからない。   義経が弁慶に打たれた「古代鼠ヶ関址及び関戸生産遺跡」 
昭和43年に発掘調査で建物址、柵址のほか、製鉄址や土器製塩址もあり、関の機能を果たす関戸集落が確認された(説明板) 

  笹川流れから瀬波へ  村上市街をちょっと走る  続 村上市街をちょっと走る  INDEX

inserted by FC2 system