姨捨山の田毎の月と夜景を楽しみに その2 

子供の頃、祖母の語る昔話の中に、「姨捨山の話」があった。この話の原型は平安中期に成ったという「大和物語」が最初であり、その後今昔物語や謡曲「姨捨」へと変容しながらも伝えられている。大和物語百五十六では祖母の話とは違って、祖母ではなく養育してくれた伯母、殿様の触れではなく嫁にそそのかされて棄てるし、穴蔵とか三つの難題も出てこない。今昔物語も大和物語と大きな違いはない。いつの間にか変わってきたのだろう。

ここの棚田は古来名月の里として「田毎の月」は文人墨客の足を運ぶ名所でもあり、また歌枕としても多く詩歌に詠われている。清少納言は「山は小倉山。三笠山……姨捨山…」(枕草子10段)と取り上げている。ここは名勝ということと姨捨の伝説の地ということが結びついてか、全国のお月見ポイント第1位にも選ばれているそうだ。

姨捨山の田毎の月を楽しみに、満月で、しかも夜景ツアが行われる日を選んで訪ねてきたが、生憎の雨天でそれどころではなかった。
 
 特別史跡名勝天然記念物。聖山高原を背に善光寺平を一望する標高460~560mの面積25haの景勝地。   棚田も野菜畑や果樹園になったところもある。棚田の維持が大変でオーナー制度を取り入れている。
 
 路傍の句碑群。姨捨には67基の句碑があるそうだ。碑文を読み取っていると、日が暮れるだろうなあ。    この辺りの先が、西行が阿弥陀四十八願に因み名付けたという長楽寺所有の「四十八枚田」
 
姨捨十三景の一つ「姪石」というらしい。岩の上には石像が祀ってあった。「甥石」というのもあるそうだ。    かってはこの寺の棚田48枚の収穫前の稲を刈り取って水を張り「田毎の月」を見ながら俳句を詠んだという。
 
長楽寺裏。あちこちの道路脇には多くの句碑が建ち並んでいる。ここに句碑が建つということは、俳人にとっては無上の喜びなんだろう。     「姨石耳(おばいしに)那幾加走之多留(なきかはしたる)気々春(きゞす)哉」  
下部に  「月見るや滞なく七むかし」  更級庵静一 
 
 信濃33番札所 天台宗姨捨山長楽寺本堂・庫裡。    権少僧都成俊ノ碑。碑面は読めない。
 
 「姨捨の山の月かげあはれさに
  うしろにおひて帰るまで見つ」  四方歌垣真顔
   「くもるとは人の上なりけふの月」   宮本虎杖
虎杖は、天明期の著名な俳人加舎白雄を姨捨に招く。
 
 観音堂。聖観音菩薩を祀る。    月見堂。ここから見る名月は格別なんだろう。
 「さらしなの里、おばすて山の月見んこと、しきりにすゝむる秋風の、心に吹きさはぎて」(更科紀行)と、芭蕉は貞享5年(1688)45歳 の8月、美濃から木曽路を辿り、姨捨に中秋の名月を見るために弟子を供に旅路を急いだ。「山は八幡といふさとより一里ばかり南に、西南によこをりふして冷じう高くもあらず……」(更科姨捨月之辨)
 姨捨の話に「いとゞ涙落そひければ」と詠んだ芭蕉の句が面影塚に刻まれている。
 
 芭蕉翁面影塚。月見堂を背に。 その側面に→    「おもかげや姨ひとりなく月の友」    面影塚側面
 
  「明和六年秋八月」  面影塚背後。
江戸中期の蕪村と並ぶ俳人加舎白雄が建てる。
   棄てられた姨が石と化したという巨大な姨石。
連れ戻したのではなく、棄てられた姨もいたのかな?
 
 「更級や姨捨山の月ぞこれ」     高浜虚子
小諸に疎開していた虚子は、昭和20年(1945)9月、姨捨に月を愛でる。
   「……やがて道は…巨大な岩石の上に出た。姨石と呼ばれている石であった。棄てられた老母が石になったものだという。……」(井上靖 姨捨)
 
  …… その石の上に立ってみる善光寺平の眺望は美しかった。平原の中央を千曲川が流れ、黄一色の平野のあちこちに部落がばら撒かれ、千曲川を隔てて真対かいの山はこれも亦紅葉で燃えていた。
 姨石の横手の急な石段は血のように赤い小さい楓の葉で埋まり、石段を降り切った長楽寺の狭い境内は黄色の銀杏の葉で埋まっていた。(井上靖 姨捨)
 
 長楽寺の周辺には、次のような句碑もあるそうだが見落としてしまった。
   信濃では月と佛とおらが蕎麦 (一茶)
   白雄居士の遺趾 姨捨や月をむかしのかゞミなる 白雄
    あひにあひぬをばすて山に秋の月 宗祇
   待宵や明日の夜の月は貯れず 荒木田守武
  元旦に田毎の月こそ戀しけれ  (芭蕉)

 姨捨を詠んだ詩句から
    君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき
        
    あま雲の晴るゝみ空の月影に怨みなぐさむ姨捨の山    西行法師(山家集)
    くまもなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき     西行法師(山家集)
    山寒み衣手うすしさらしなや姨捨の月に秋ふかしかば   源実朝(金槐和歌集)
    うき雲は月やは払ふさらしなや姨捨山の峰の秋風      藤原家隆(壬二集)
    おばすての山となりしに我なればいまさらしなに関守もなし能因法師(能因集)
    きふといふ今日名月の御側かな                小林一茶
    姥捨た奴も一つの月夜哉                    小林一茶
    姨捨に今捨てられしかゞし哉                  小林一茶(七番日記)
    さらしなや山田に秋を古かかし                 小林一茶(七番日記)
    姨捨はあれに候とかゞし哉                   小林一茶(七番日記)
    姨捨によろぼひたりて女郎花                  大島蓼太

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