姨捨山の田毎の月と夜景を楽しみに その2
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特別史跡名勝天然記念物。聖山高原を背に善光寺平を一望する標高460~560mの面積25haの景勝地。 | 棚田も野菜畑や果樹園になったところもある。棚田の維持が大変でオーナー制度を取り入れている。 | ||
路傍の句碑群。姨捨には67基の句碑があるそうだ。碑文を読み取っていると、日が暮れるだろうなあ。 | この辺りの先が、西行が阿弥陀四十八願に因み名付けたという長楽寺所有の「四十八枚田」 | ||
姨捨十三景の一つ「姪石」というらしい。岩の上には石像が祀ってあった。「甥石」というのもあるそうだ。 | かってはこの寺の棚田48枚の収穫前の稲を刈り取って水を張り「田毎の月」を見ながら俳句を詠んだという。 | ||
長楽寺裏。あちこちの道路脇には多くの句碑が建ち並んでいる。ここに句碑が建つということは、俳人にとっては無上の喜びなんだろう。 | 「 下部に 「月見るや滞なく七むかし」 更級庵静一 |
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信濃33番札所 天台宗姨捨山長楽寺本堂・庫裡。 | 権少僧都成俊ノ碑。碑面は読めない。 | ||
「姨捨の山の月かげあはれさに うしろにおひて帰るまで見つ」 四方歌垣真顔 |
「くもるとは人の上なりけふの月」 宮本虎杖 虎杖は、天明期の著名な俳人加舎白雄を姨捨に招く。 |
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観音堂。聖観音菩薩を祀る。 | 月見堂。ここから見る名月は格別なんだろう。 | ||
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芭蕉翁面影塚。月見堂を背に。 その側面に→ | 「おもかげや姨ひとりなく月の友」 面影塚側面 | ||
「明和六年秋八月」 面影塚背後。 江戸中期の蕪村と並ぶ俳人加舎白雄が建てる。 |
棄てられた姨が石と化したという巨大な姨石。 連れ戻したのではなく、棄てられた姨もいたのかな? |
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「更級や姨捨山の月ぞこれ」 高浜虚子 小諸に疎開していた虚子は、昭和20年(1945)9月、姨捨に月を愛でる。 |
「……やがて道は…巨大な岩石の上に出た。姨石と呼ばれている石であった。棄てられた老母が石になったものだという。……」(井上靖 姨捨) | ||
…… その石の上に立ってみる善光寺平の眺望は美しかった。平原の中央を千曲川が流れ、黄一色の平野のあちこちに部落がばら撒かれ、千曲川を隔てて真対かいの山はこれも亦紅葉で燃えていた。 姨石の横手の急な石段は血のように赤い小さい楓の葉で埋まり、石段を降り切った長楽寺の狭い境内は黄色の銀杏の葉で埋まっていた。(井上靖 姨捨) |
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