栗と北斎と一茶と花のまち 小布施その2

 
 町外れの雁田山山麓の岩松院に向かう途中には、収穫前の林檎が枝もたわわに実っている。   「栗ひろいねん/\ころり云ながら 一茶」
 岩松院門前。
 
 雁田山を背にした曹洞宗梅洞山岩松院の遠景。文明4年(1472)雁田城主荻野備後守常倫の開基という。    岩松院本堂。ここに1848年北斎晩年の最大の作品「八方睨み鳳凰図」が描かれている。極彩色の大迫力だ。
 
 「蛙合戦の池」一茶54歳、文化4年4月、ここで繰り広げられる多数のひき蛙の雌争奪の様を見て「瘠せがえる」の句を読む。    「瘠せがえるまけるな一茶是に有 一茶」 池の畔
病弱な初児・千太郎への声援の句だが、一ヶ月足らずで病没。
 
 福島正則霊廟。  秀吉の家来で勇猛果敢で知られ、賤ヶ岳七本槍のひとりの福島正則がここに眠っていようとは。関ヶ原合戦では東軍につき、安芸・備後50万石で広島に拠る。台風で崩れた石垣を少しだけ修理したが、幕府無届けの城の改築とされ武家諸法度違反の口実で信州・越後の45000石へと減封改易。小布施の隣村高山村に屋敷を構えたが、寛永元年(1624)64歳で没す。しかも、幕府の検死役を待たず火葬したとして領地を没収されたそうだ。
 
 真言宗豊山派浄光寺参道。昔のままの自然石の石段は歴史を感じさせる趣はあるが、登るのは実に大変。   重文「 浄光寺薬師堂」。室町初期1408年建立。厄除け、がん封じ、縁結び、息災延命……パワースポット!
 
 「大栗は猿の薬禮と見へにけり 一茶」 浄光寺山門前    「山寺や畳の上の栗拾ひ」 一茶 浄光寺石段脇
 
昼時は過ぎたのに、食堂も土産物売り場も押し合いへし合い。さすが通りは人通りも少なくなった。    名物「栗おこわ」岩松院などを廻って3時近くまで待ってからの予約だが40分以上待ってやっとありついた。
 小布施にはいくつ美術館などがあるのだろう。北斎館、鴻山記念館の他に、中島千波館、あかり博物館、小さな栗の木美術館、千曲川ハイウェイミュージアム、歴史民俗資料館、まだまだある。陶器、生活雑貨、ガラス、藍染め、全部見て回るのには二泊は必要かな? 小布施の町おこしが成功して多くの観光客を見事に引きつけている。
また、小布施は「人と人との交流を深め人に優しい花咲くまち」へと、「フローラルガーデンおぶせ」という広い庭園を設けるほかに、個人や学校、寺などの庭100余の庭を開放している。訪問の時期が遅かったのか個人の庭は拝見できなかったが。
  

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