帰化人の里 高麗川 

八高線と川越線の乗り換えは日高市の高麗川駅。「高麗」の名の如くこの地は半島からの帰化人が住み着いたところだとかねて聞き及んでいたので、途中下車をして関係のところを少しだけ廻ってみることにした。
「辛卯、以駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七国高麗人千七百九十九人、遷于武蔵国、置高麗郡焉。」(続日本紀)霊亀2年(716)に、関東七国の高麗人を関東に移して高麗郡を置いたのがこの高麗川を中心とした地だったという。
高麗(こま)とは、十世紀に新羅に変わって建国した高麗(こうらい)とは別で、天智天皇の7年(668)、唐と新羅の連合軍に破れ滅亡した高句麗のことだそうだ。
 
 高麗神社。高麗郡が設けられたときその長となったのは、高句麗からの帰化人高句麗王若光で、没後その威徳を讃え、霊廟を建てて高麗明神としてここに祀った。高麗王若光のほか猿田彦命および武内宿禰が祭神。若光の子孫が代々神官を務めている由。(日本語と韓国語並記の日高市の説明版の概要)ここはパワースポットだって。この神社では濱口雄幸、若槻禮次郎、斎藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが参拝後に総理大臣となったことから「出世明神」と崇められるようになった。皇族や各界著名人や韓国の人の参詣者も多いとか。
 
 神門の扁額は高麗神社と、小さな「句」の字を挟んでいる。でも、この神社は「高麗神社」だそうだ。後の世の高麗と区別するためか。何となく異国風に思えるが。     家系図             野田宇太郎
「ほろぼろの千二百余年も前からのこの家系図の階段をのぼりつめると、はるかな朝鮮奥地の茫々とした原野が見えた 大陸から押し寄せる唐の大軍 東の海辺にひしめく新羅 ついに七百年の栄華は砕かれた……」
 
高麗家住宅。高麗神社の神官を務めてきた高麗家の住宅。国重文指定。山を背に、東を正面として建てられている。江戸時代初期を代表する民家。五つの部屋と土間があり炉が二つ。 
 
 「幽栖門」斜面の先に、高麗家の墓地があるのかな??    この珍しい塑像はなんでしょうか。半島の信仰に関わりがあるのかな?
高麗神社から500mほどの距離に位置する真言宗 高麗山聖天院勝楽寺は高麗王若光の菩提寺として天平勝宝3年(751)に創建。若光の守護仏聖天尊を本尊とする。
 
 雷門。総欅の木造二層。風神と雷神が左右に。江戸時代後半の建築と推定とのこと。   王廟。高麗王若光の墓。高さ180cmほどの多層塔。鎌倉時代の造立と伝えるそうだ。 
 
史跡高麗殿池。雷門を入るとその先に中門があり、そこには「これから先有料」。300円の志納金を納め石段を登ると,庭園が拡がる。  庭園の上には本堂が威容を誇る。更に石段を登る。
 
本堂。平成12年(2000)に7年の歳月を費やして完成。総欅造りの随分大きな本堂。     本堂前からの眺望。左に書院や庫裏、右には阿弥陀堂が見える。
 
鐘楼。国指定文化財梵鐘 一撞百円奉納。鎌倉中期の鋳造。本物は本堂にある由。     阿弥陀堂。弥檀には阿弥陀如来坐像、勢至菩薩坐像、観音菩薩坐像の三尊を安置。
長い歴史をもつ故国を追われ、異国の各地に散らばっていた人たちが、一カ所にまとまって住むことが出来るようになった喜びは、荒野の開拓の苦労に勝るものがあったのだろう。
この地方には、高岡廃寺や大寺廃寺など、高麗人にかかわる遺跡なども幾つもあるそうで、調査研究が進めば更に当時の姿も明らかになるのだろう。  

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