巨大な地下空間 大谷石のふるさと 

  雨が降ったり、北風が強かったりした天気が、この日は穏やかに晴れ上がって暖かな朝を迎えた。久しぶりに、ちょっと出かけてみようと、宇都宮市の大谷(おおや)に出かけてみた。
大谷というのは、「大谷石」の採掘場で、採掘したあとの巨大な地下空間が見られるという。過去何回か大谷は行ったことがあるが、小さな子どもの引率ではあちこち見てもまわらなかったし、地下の巨大空間もその頃は見ることもできず、ただ大きな観音様の前で記念写真を撮ったことだけは覚えている。
 
 大谷に向かう途中、日光の男体山が少し雪をかぶっている姿が見えた。大谷から日光までは30km位の距離かな?   天台宗天開山大谷寺。810年に弘法大師が開いたと伝えられる。坂東三十三箇所観世音第19番札所「大谷 観音」
 
 この観音堂の奥の岩壁に弘法大師が刻んだというという本尊の千手観音が祀られている。壁を削り粘土で整形して彩色した高さ389cmの像。    左側の建物の岩壁には、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊が刻まれ、いずれも本尊と共に特別史跡、重要文化財の国指定。
 
 お堂下の洞穴遺跡で発掘された縄文時代最古の草創期の屈葬された20歳前後の男性の人骨。石器や土器も多数発掘され宝物館に展示してある。 (写真は入場券より)    弁天堂と白蛇。昔この池に毒蛇がいて人々を困らせたが、弘法大師の力で心を入れ替え白蛇となって弁財天に仕える。蛇の頭を撫でると御利益があるそうだが、ご遠慮した。
 この辺り一帯に拡がる大谷石とは、新生代第3紀中新世(約2,000万年前)に流紋岩質火山の爆発により噴出した、火山灰や軽石を含んだ火山灰質のものが、海水中に堆積し凝固して出来たとか。流紋岩質角礫凝灰岩といい、火に強く、軽くて軟らかで加工しやすく、建築用材として出荷されているという。 現在地下の採掘場は約50カ所あり、年間に70万トンを生産して、主に関東地方に出荷されているそうだ。
 
 大谷石で造った倉庫。ライトが設計した旧帝国ホテル(今は明治村)、神奈川県立近代美術館も大谷石。門柱、塀、石垣、礎石、階段などに使われる。
宇都宮駅東口の餃子像も大谷石だって。
   大谷石の土産品。灯籠、香炉、五重塔、灰皿、狸、二宮金次郎、蛙……加工がしやすいので手の込んだものもあるようだ。手前の小型灯籠は6500円。 
 
 大谷石採石場跡の大谷公園。大谷寺のすぐ前。ここは昭和初期まで手作業で露天掘りが行われ、下へ下と掘り下げられたあとだそうだ。   平和観音。第二次大戦の戦没者を慰霊し平和を祈念するのため、昭和23年より採石場の壁面を利用して 観音像を刻む。26.93m(88尺8寸8分)
 
 「親子がえる」 どう見ても蛙には見えないが。昔蜂の大群に悩んでいるとき親子蛙が戦ってくれたという。旅僧の刻んだ観音様の霊力とか。   「天狗の投げ岩」近くの山に住む天狗が投げた岩がバランスをとっている。見ていた人がいたんだ。
今は補強し、ワイヤーで支えている。 
 
 国指定名勝「大谷景観公園」このあたりの平地も大谷石の採石跡。    大谷資料館。この駐車場も、露天掘採掘場跡。
入館料600円。この中から地下採掘跡に降りる。
 たくさんある採掘場跡の一つの一部分が資料館として公開されている。2万平方キロ(東京ドームがすっぽり入る広さ)もあり、その三分の一程度を見学することができる。このような大きさの採掘場は他にもいくつかあるとか。ここの平均の深さは30m、ところにより60mもの所もある。崩落を防ぐために支柱部分を残したり、地上の位置を見極めるための天窓(?)もある。
こうした採掘跡も長い間には脆弱となり、20年ほど前には昔の採掘場の跡地の地下空間が大きく陥没して、民家が陥没することもあった。あそこはどうなったのだろう? 
 
 いくつもの階段を下りていくと巨大な地下空間が眼の前に拡がる。この日の温度は7℃。声を出すのが恐ろしい気がする。一人では来る気はしない。    戦時中には陸軍の地下倉庫として、また、中島飛行機の戦闘機「疾風」の機体工場としても利用された。
 
 昭和45年には約9万俵の政府米の古古米も保管された。ワイン貯蔵庫に利用している所もあるとか。平均気温は8℃で、りっぱな巨大な冷蔵庫だ。   「セーラー服と機関銃」「金田一少年の事件簿」「リターナー」などのロケ地、喜多郎の音楽会、演劇、展覧会など多彩に利用している。左方が観覧席。 
 
 機械堀をしたあとの壁面。1960年頃から機械化されたが、それまでは、つるはしとノミの人力で切り出し、人間の背で運び出していたそうだ。   切り出した大谷石。15×30×90cmなど、いくつかの規格に刻みそろえられる。この大きさを手掘で掘るには4000回もつるはしを使ったとは。 
 
帰途、鹿沼市へ立ち寄った。鹿沼市は50年前の高校の地理の教科書に大麻の産地とあった。麻薬の大麻ではなく、ロープや麻袋などの原料の産地だった。今も栽培農家が僅かばかりあるそうだ。
鹿沼は、鹿沼土の産地、さつきの生産地、蕎麦の産地、木工業の盛んな所なんだそうだ。花木センターと言うところへ寄ってみた。 
 
 花木センター。公園のように整備されたなかに、花や資材の「一大流通センター」がある。    広場いっぱいに並べられた園芸資材や花。この季節では訪れる人もちらほら。
 
 軽石質の火山砂礫が 風化したもので、通気性・保水性がともに高いことから、主にサツキなどの用土に利用される。産地だけに安い。14リットル180円   「さつきの鉢」鹿沼は全国一のさつきの産地とか。毎年5月には「さつき祭り」が開かれ、このセンターに愛好家など多数が集まる 。
 
 大きな温室もあって中には色鮮やかなランの仲間が花盛り。高いのか安いのかは私にはわかりません。きっと安いのでしょうね。 生産者が持ち込んだものを委託販売をしている。 
 
 別棟の温室には、鉢物の草花が並んでいた。ここで買われることなく花時を過ぎてしまうのは悲しい。    木製品、そば粉などの農産加工品など地元産のものが販売されていた。ちょっとだけ土産を買う。

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