桜を求めて名勝「桜川」へ

 桜前線が北上して来て、直ぐ近くの桜並木の染井吉野は満開になった。近県の桜はどこも満開になったのだろうと、迂闊にも情報をよく確認しないまま、茨城県桜川市の「磯部桜川公園」も見頃を迎えたであろうと、思いこんで出かけて見た。しかし、観桜には1週間以上早すぎた。
この公園について案内板は次のように説明している。
 「桜川は、桜川市岩瀬町山口集落の嶺ケ池に源を発し、この集落の桜林を西へ流れ、後に、南下し筑波山のふもとをまわって、霞ケ浦へ流入している。この付近は、古くから磯部百色桜として桜の名所となり、吉野に次いで名高かったといわれ、多くの歌に詠まれている。桜川の名称も、毎春、桜の花びらがその川面に浮かぶので名づけられたいわれる。桜は、東北産の白山桜が中心で、梅鉢桜、桜川匂、薄毛桜、白雲桜、初見桜、樺匂、青桜、青毛桜、源氏桜、大和桜、初重桜などがあり、淡紅色のもの、花梗に毛のあるもの、芳香の強いものなどの珍種も混在している。室町時代に世阿弥元清が著わした謡曲「桜川」は、この桜川沿岸の悲話から題材をとったものといわれる。」 
 謡曲の「櫻川」は、人買いの手に渡った我が子を探し求めてこの地に来た母が、磯部寺の僧の弟子になっていた我が子と巡り会う、という話だそうで、この磯部寺は磯部神社の境内にあったと伝えられる。
 江戸時代には、水戸黄門や笠間藩主牧野貞喜らも度々訪れており、光圀はこの桜を水戸へ移植してそばの川を櫻川と名付けたという。また、将軍家綱は隅田川堤へ、吉宗は小金井堤へ移植させたそうだ。平安の昔から名高い桜の名所だったとは初めて知った。
 


「桜川」水田地帯のなかを流れる小さな流れが桜川。謡曲に謡われ、市の名称ともなる。


桜川より一段と高くなった丘陵に「磯部桜川公園」があった。


珍しい桜が多い公園全体が国の天然記念物に指定されている。また、国指定の「名勝」でもある。


ここには数十種類約1000本の桜があるといっても、殆どが山桜の仲間で、観桜には早過ぎた。咲いているのはごく僅か。


なんという種類か知らぬが、少しだけ咲いていた。


染井吉野の派手さはないが、折角の来訪を歓迎してくれた。


公園に隣接した「櫻川磯部神社」景行天皇40年、日本武尊が伊勢皇太神宮荒祭宮礒宮をこの地に移祀したそうだ。


地震を起こす鯰を押さえてる「要石」鹿島神宮の要石は鯰の頭を、これは尾を押さえてくれてるとは、ありがたい話だ。


紀貫之歌碑。
  さくら河といふ所ありとききて
「いつよりも春べになれば櫻川
       波の花こそまなくよすらめ」
              後撰集巻第三


秋の夜の月ぞ渡るる櫻川花はむかしのあととのしらなみ 宗尊親王
みなまみの木々のしつくのさくら川花とともにやあちつもりけん 尊澄親王
散るや今波にも花のさくら川 近衛信尹


神社の脇の山林を抜けて台地を降りると見事な桜が咲いていた。


これは「糸桜」という種類らしい。細い枝が糸のように枝垂れている。


糸桜と並んでこれも見事に咲いていていてくれた。


これは「江戸彼岸」糸桜もこれも、天然記念物指定の種類ではないが。


隣町の益子の窯元共販センターで割ってしまった湯飲みの代わりを買う。


共販センターに接した小山の上に「陶芸メッセ」がある。カタカナがお好きなんですね。


坂道を昇っていくと、移築された人間国宝だった浜田庄司の登り窯が見えた。


移築した浜田庄司邸。屋根の萱が少し抜け落ちていた。雨漏りは??


ここの桜は満開。染井吉野かな?


頂上の通路脇に咲く猩々袴。野生??


この寺は真岡市の極楽院無量寿寺。ここの桜も見事だと聞いたので寄ってみた。


鎌倉時代創建の天台宗のお寺。ここは本堂県指定の文化財があるのだそうだ。


「しだれ桜」というが枝垂れているようには見えない。7分咲きか、いや満開かな。


背の高い桜が何本も花をつけていた。これも山桜の仲間なんでしょう。

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