千住から草加へ奥の細道を辿る 千住
「むつかしきかぎりはよひとりつどいて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば……」と、送別会のあと、深川から知己、門人らとともに舟で千住まで送ってもらう。 今も昔も足立の表玄関は千住大橋。その大橋の歴史は古い。 最初の橋がかかったのは徳川家康が入府してから4年後の文禄3年(1594)11月のこと。 隅田川筋では最も古く両国橋は60年後に架けられている。 ともあれ、昔の旅人にとってこの橋を渡ることは江戸を去る第一歩であり、また江戸入りの第一歩でもあった。 |
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千住大橋 「行春や鳥啼魚の目は泪 これを矢立の初として、行く道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて後ろかげのみゆる迄はと見送なるべし。」 |
おくのほそみち 旅立ちの地 「千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに別離の泪をそゝぐ。」 橋のたもとの河岸の壁面に書かれていた。 |
足立区立大橋公園 大橋の袂に「奥の細道 矢立初めの地」碑 「千住大橋と奥の細道」と題する解説文と奥の細道の冒頭部分などが記された案内板が脇にある。 |
「史跡 おくのほそ道矢立初の碑」 も公園の一角にあった。碑には「千じゆと云所にて船をあがれば……後ろかげのみゆる迄はと見送なるべし。」が刻まれていた。 |
千住大橋から200mほど離れた所にある神社。境内の「瑞光石」の放つ光の中からあらわれた翁(素盞雄神・飛鳥大神)を祀る。 |
「千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。行春や鳥啼魚の目は泪 はせを翁」と、その下に芭蕉座像を刻む。 |
大橋公園の向かい側に、芭蕉生誕360年の平成16年に旧日光街道入り口に建てられた。「みぎ 日本橋 ひだり 草加」 |
この芭蕉石像はにこやかな表情で、矢立初めの句をしたためている所なんだろう。 |
「やっちゃ場」とは青物問屋が三十数軒並んで、「やっちゃ」という競り声が聞こえた由。 江戸に青果物を供給する一大市場だった。 |
旧日光街道の1km程のやちゃ場の各店舗がどんな店だったか案内板を掲げていた。ここは元葱専門問屋。現役の問屋もあった。 |
千住宿歴史プチテラス 元禄期に建てられた元地漉き紙問屋の土蔵を活用したギャラリー。この日は版画展の準備をしていた。 |
芭蕉句碑 歴史プチテラス 「鮎の子のしら魚送る別哉 芭蕉」 見送る人を鮎の子に、送られる自分を白魚に。 |
千住神社 祭神須佐之男命 宇迦之御魂命で、延長9(926)年創立。源義家が戦勝祈願をしたとか。 |
芭蕉句碑 千住神社 「ものいへば唇さむし秋の風」 傍らに「ものいえば……」との碑がある。 |
千住本氷川神社 祭神は素盞鳴尊、徳治2年(1307)創建 |
芭蕉句碑 千住本氷川神社 「春もやゝ 景色とゝのふ 月と梅 □□」 |
旧日光街道宿場町通り 大きな道路ができて旧街道は寂れてしまうところもあるが、ここは細い通りに今も様々な商店が並んでいる。景気は知らない。 |
旧日光街道 途中には高札場跡、貫目改所跡、本陣跡の標柱が建っている。 狭い歩道を自転車が歩行者にかまわず走り抜ける。千住では後ろにも眼がほしい。 |