梅雨の奥塩原へ秘湯を訪ねる

家の中に籠もりきりではと、思い立って天気予報を見ながら一泊の旅に出ました。
行き先は「塩原」。ここや帰路に通った鬼怒川や川治などとともに、職員旅行や
研修で10回以上訪ねたことがあるところです。

しかし、塩原でもずっと山奥にも温泉宿があり、珍しい湯があるというので、出
掛けてみました。文字通りの奥地の秘湯の名に恥じぬ山奥のどん詰まりの宿でした。

塩原への入り口の道の駅「アグリパル塩原」で、昼食の蕎麦を食べたが、正直言って「不味い!」
こういう処で食事はするものではないと、今更ながら感じた。

道の駅の裏手に小川が流れていた。澄み切った冷たそうな水。

ところで「アグリパル」ってどういう意味なんでしょうか。日本人は片仮名がお好きなんでしょうね。
塩原ダムに掛けられた「もみじ谷大吊橋」の上から。
紅葉の季節には、料金300円を払う値打ちだけの紅葉を見せてくれるのでしょうが、この季節は、霧に霞む山々だけ。
観光用に架けられた全長320m、幅1.5mの日本一長い吊り橋。ただし「無補剛桁」吊り橋という様式では、ということのようです。橋の横揺れを防ぐ「耐風索」があるんだとか。
歩いていると気がつかないが、立ち止まってカメラを構えると、微かに揺れています。団体さんが来ると、もっと揺れるのでしょうが、今日はあいにくの雨模様で、渡っている人は2,3人ぐらい。
塩原は何回も来ているので、改めて観光すべき処はない。せめて30以上もある文学碑のいくつかでも訪ねようと思ってきたが,,雨模様の中を歩き回るのを取りやめ、塩原の温泉街を通り抜けて、その先の曲がりくねった山道を登り詰めて、早々と宿に。

この元湯は、塩原温泉発祥の地で85軒あったあったが、17世紀の大地震で壊滅で無住の地となった。現在は3軒の宿が渓谷に沿って営業している。
この宿を選んだ理由の一つに8つもの湯船という多彩な温泉がある。五色の湯、太子の湯、御所の湯、高尾の湯、子宝の湯、そして、真っ黒な「墨の湯」。

墨の湯に入ると、タオルも黒ずみ、体にもなにか黒いものが付着するようだ。黒い湯は日本ではここだけだそうだ。

夕食。私には到底食べきれない。味は少し濃い。特別珍しいものはなかったし、特においしいというものもなかった気がする。

宿の客は、ほとんどお年寄りばかり。他のお客も食べきれないんでしょうな。
露天風呂からは、宿の下を流れる赤川の渓谷越しに、楢やクヌギの原生林が目の前に。新緑や紅葉の季節には、さぞかし見事なんだろうな。

乳白色で、底が見えない浴槽は、入るのに足もとが不安。
家族風呂の子宝の湯。でも利用している人はないみたいだった。

墨の湯も五色の湯も混浴で、年配のご婦人達は何も気にしないで入ってくる。
宿の玄関。雨が降っている中を撮影したので、雨粒がレンズについて斑点が出来た。

ここが三階。標高800mとか。
昨夜来の雨がまだ残っている中を帰途につく。

日塩道路で鬼怒川に出ようとしたら、宿の主人が、屈曲も起伏も緩やかな尾頭トンネルから上三依回りの道を進められたので、その道を辿る。

40年前、修学旅行のバス10台連ねて通ったときと違って、多くのトンネルが出来ていた。
五十里湖のを遠くに見て。川は鬼怒川かと思ったら、男鹿川。

通り抜けるだけではと思って、日光江戸村にでも寄ろうとしたら、この日は休み。結局どこにも寄らずに帰途を急ぐことになった。
途中、栃木市を通った。ここは街中流れる巴波川の舟運を活かした物資の集散の地でもあり、例幣使街道の宿場町でもあった。

巴波川に沿ったかっての材木回漕問屋の土蔵造り。
半分が麻問屋、半分が銀行だった明治時代の豪商の店舗。

今は郷土館として当時の様子が再現されているそうだ。
栃木市出身の作家山本有三ふるさと記念館。

いくつものかっての店舗だった倉が模様替えをして各種の記念館などに利用されている。現役の土蔵造りの店も幾つもあり「蔵の街」として、街興しに努力をしている。

宿の部屋から。原生林と瀬音と雨音と(動画)

inserted by FC2 system