秩父路の小さな旅

数えてみたら、もう50年ぐらい蛍を見ないなあと気がついて、蛍が各地で見られるという秩父へ出かけました。
秘湯の宿に泊まり、ついでに、秩父の自然と歴史を垣間見る小さな旅です。駆け足で、立ち寄りたいところをあちこちと割愛しての2日間でした。

歩いたコースは、鉢形城址→長瀞岩畳→和銅遺跡→秩父神社→羊山公園→橋立鍾乳洞→鳩の湯温泉(宿)  花ハス園(蛍鑑賞)
花ハス園→寺沢川の水車→普寛神社→(秩父湖)→三峯神社→麻生加番所跡→栃本関跡→神怡館→椋神社→龍勢会館


鉢形城から橋立観音まで


鉢形城址 傳御殿曲輪
秩父の出口に当たる荒川の断崖に位置する文明8(1590)年長尾景春が築城。

鉢形城三の曲輪
その後上杉家の持ち城として栄える。


戦国時代の体表的な城郭跡として国指定史跡となる。その広さは24万u。

天正8年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、三ヶ月の戦いの後、落城した。

天然記念物・長瀞の結晶片岩の岩畳。
遠足で来たこともあり、今回で3回目の訪問。
並んでいる土産物屋も閑散としていた。

荒川中流の峡谷。瀞とは「河水が深くて流れの静かなところ。長瀞は瀞もあるが、早瀬もあって、舟で下ると飛沫もかかる。

3km30分1550円のコースで舟下り。乗る人は僅かかと思ったら、定員10名が満員。船頭二人が巧みに棹を操っていた。お帰りはバスが待っていた。

「慶雲5年、西暦708年、武蔵国秩父郡から銅が献上され、これを喜んだ朝廷は年号を「和銅」と改元し、日本最初の貨幣「和同開珎」を発行したと。経5mものモニュメント。

「危険につき高齢者は登るな」というような意味の看板を無視して、更に和銅山の嶮しい深い山道を登った。 確かに警告が身に沁みる

鎖を頼りに木段を踏みしめ、やっと上り詰めた山道の先に「和銅開寶古跡」という碑があった。碑の脇の崖が露天掘りの跡だという。

「和銅とは“にぎあかね(熟銅)”と呼ばれ 精練を必要としない自然銅のこと」だって。
掘るのも大変な作業だったのだろうな。

秩父神社は秩父地方の総社。12月の秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つという。

広大な芝桜で名高い「羊山公園」の花のない芝桜を見ようとしたが、公園のどこだか不明。
ここは中腹の「牧水の滝」

秩父町出はづれ来れば機織の唄ごゑつづく
 古りし家並に 牧水
大正9年4月、秩父の春を見るため来訪。

牧水の歌碑の脇に並んで若山喜志子の歌碑 のび急ぐしたもえ草のあさみどり
   あやふくぞおもふ 生い立つ子らを

秩父札所28番石龍山橋立堂にある鍾乳洞は全長140mしかないが、高低差33mで梯子と階段で、身を屈めて上り下り。涼味は満点。

秩父路の小さな旅 2  奥秩父温泉郷 鳩の湯

inserted by FC2 system