土肥を歩く (西伊豆の旅3)
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修善寺温泉から136号線をバスに乗って土肥まで辿る。途中船原温泉の看板を横目に、1114mの船原トンネルで峠をくぐり抜け、曲がりくねった道を駆け下りる。50分で駿河湾に臨む土肥に着いた。 | |||
松原公園。傍らを土肥山川が海に流れ込む。 | 「黄金の湯」温泉噴塔の両脇に無料の足湯。 | ||
ガム島のポンタン・ドス・アマンテス「恋人岬」と土肥の恋人岬が姉妹岬として提携15周年記念の像。両岬の友好の証として、更なる発展を祈念。両岬の強い結びつきのシンボル。 | 花登筺歌碑 土肥は湯と金の町 湯の中で砂金が キラキラと眩ゆいばかりの光粒を見せる 銭の花が白く清らかさを持つならば この花は 黄金の花粉であろう |
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若山牧水歌碑 ひそまりてひさしく見ればとほ山の ひなたの冬木かぜさわぐらし 牧水 |
ギネス認定の世界一の花時計。直径31m、長針12.5m、短針8.8m。約5千本の花々で彩る。 外周は裸足で歩く天然石の健康歩道。 |
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島木赤彦は大正14年(1925)1月、沼津から修禅寺、船原温泉で泊まり、山を越して1月28日に土肥へと辿った。一週間宿泊、友人と舟遊びに興じるなどして、病の身を癒やす。翌年3月、51歳で没す。 わが臀の土を擦るばかりこの山の下りけはしさよ海に向かひて 櫟葉は多くは落ちず入海の礒岩かげに音のかそけき 富士の山裾曳くを見ればうちよする駿河の海も籠もる思ひあり |
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松原公園から駿河湾を望む。 この日は大波も立たず静かな海だった。赤彦はどこから船を出したのかな? | 島木赤彦歌碑 土肥の海漕出てゝ見れは白雲を 天に懸けたり不二の高根は 赤彦 |
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大場美夜子句碑 なめらかな海に裳を引く春の富士 美夜子 |
美夜子の句碑は元富士見台にあったのをここに移転。ここからは富士山は見えそうもない。 | ||
若山牧水像。土肥山川が土肥港に注ぎ込む河口の橋の袂に。旅姿だろう、帽子に羽織。 | 花のころに来馴れてよしと思へりし 土肥に来て見つその梅の実を 牧水 |
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土肥金山は幕府直轄の金鉱として採掘、佐渡の金山と並び称せられ、金銀は慶長小判の地金に使われた。ここで金約40t、銀400tが掘り出されたという。昭和45年(1970)に廃坑となり、のちに一部の坑道を利用してテーマパークとなる。少し離れた処にも、天正5年(1577)土肥で初めて開発れた「天正金山」もあり、公開されているそうだ。 | |||
テーマパーク土肥金山。坑内巡りの他、砂金採りの体験の砂金館、金関係の展示の黄金館など。 | 総延長100kmの中400mの坑道が、往事の金山の様子の展示施設として公開されている。 | ||
総延長100kmもある土肥金山の坑道。その中のわずか400mに、展示や人形などでかつての金山を紹介している。左は当時の土肥の町の様子、遊郭かな? | |||
金ぴかの鳥居の「大山祇尊」 | 「金鉱の露頭」プロでないと見分けられない。 | ||
「水汲み」各種の坑内作業を電動人形で展示。 坑内の温泉で入浴中の女性像もあった。 | |||
金鉱石。白色の石英鉱床の中の銀黒色の鉱脈が金鉱石と説明。 やっぱり私には見分けられない。 | 千両箱。左方で重さ体験。やっと持ち上がったが、担いで逃げられないな。22kgというのに。 | ||
葵の御紋の千石船(弁財船)。掘り出した金銀は千石船で駿府の銀座に運ぶ。 | ギネス認定、世界一の金塊。250kg。10月9日現在10億9千4百万。穴から手を入れて触れる。 | ||
金銀鉱石。1tもの石から600gの金。大変だなあ。 | ここは標高170m。津波の時は、先の鉄塔へ。 | ||
もう一つの天正金山へも行くつもりだったが、昨夜の脚の痙攣を怖れて、少し早いが宿へ直行。 |