多胡の碑から富岡製糸場へ
 

日本三古碑の一つの多胡の碑が、この日、普段は閉じている覆屋の扉を開けて公開すると聞いて出かけた。三古碑のうち多賀城の壺の碑那須の国造の碑は既に訪ねたので、残りの多胡の碑を訪ねたいとかねがね思っていたのが、やっと念願が叶った。
そしてそのあと、この先の富岡製糸場の見学に向かった。
 
多胡碑は岡崎市吉井町にある。高崎から上信電鉄で吉井駅へ。駅の無料のレンタサイクルでやく2km先にある多胡の碑に向かう。   多胡の碑を核とした「吉井いしぶみの里公園」ここは台地のはずれの高台。石垣の所々に文字が刻んである。
 
 公開日というので、見学者が多数きていた。
若い人の姿は見えない。
  国指定特別史跡 多胡碑。全長152.5cm.
入り口の両サイドで張り番と説明をしていた。 
弁官符上野国片岡郡緑野甘
良郡三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左大臣正二
位石上尊右大臣正二位藤原尊  
 3郡から300戸を分けて新たに多胡郡を設け羊に給す。藤原不比等ら3人の連署。
和銅4年は711年。郡を設けた記念碑。
   碑面の一部。多くの文字を拾い読みできる。
「上野國」「多胡郡」「和銅四年」「太政官」……書風は書道史上で高く評価されている由。
 
  多胡碑をよめる
むかしは書残したるかみつけに
 うづもれぬ名ぞいまもかがやく
       陸奥出羽按察使前中納言有長
   浮草のうちに埋もれし石文の
 世にめづらるゝ時は来着にけり 
                    楫取素彦
県令楫取は松陰の義弟、碑の保存に尽力。
 
 穂積親王、弁官符上、太政官二など多胡碑の四文字を競作して、それを刻んである。
ここには移築復元された古墳、大賀蓮池なども設けられている。
   多胡碑記念館。多胡碑についての展示の他、古碑のレプリカや拓本などもある。高句麗王「広開土王」の碑や壺の碑、那須國造碑などの拓本類も多数掲げられていた。
 
 吉井駅に戻り、上信電鉄で上州富岡に向かう。 上信電鉄上信線は高崎下仁田間33.7kmを20駅で結ぶ。上州と信州を結ぶ計画が中止され名だけ残った。たぶん経営も厳しいのだろう。アイディア豊かに銀河鉄道999列車や、絵手紙列車、貸し切り列車、サイクルトレイン、色鮮やかなラッピング列車も走る。私も借りた無料の自転車は、7つの係員のいる駅で貸し出しとか。
 
 世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」の製糸場正門。赤煉瓦塀に遺産に指定されそうな丸形ポスト。    見学の前に、門前の食堂で上州名物「おっきりこみ」広巾のうどん、賽の目の数種の野菜に鶏肉。珍しさもあってか美味しかった。
官営富岡製糸場は明治5(1872)年操業開始。のち三井、片倉と経営が移り,昭和62(1987)年操業停止。平成17年富岡市に寄贈される。その後、国重文指定、世界遺産暫定リストに搭載。
製糸場をこの地に建設したのは、群馬や隣接の長野や埼玉が原料繭の大供給地であり、水や石炭が得られるからだったから。石炭も近くで採掘??
工場建設の技術者や製糸の技術者など10名のフランス人を雇い入れ、建設から操業指導に当たらせた。
以後、品質改良と大量生産が可能となり、日本の第一次産業革命の幕開けとなり、絹糸は輸出品の花形だった。
 
正門の真正面に位置する東繭倉庫。南北に長さ104m、高さ約14mの総二階建、幅は12.3m。一階は事務室などで2階が倉庫。     東繭倉庫。フランス人の設計による、木の柱の間に煉瓦を積み上げた「木骨煉瓦造り」という構造。煉瓦の積み方もフランス積。
 
 西繭倉庫。東西1044m。東倉庫と同じ木骨煉瓦積。東西倉庫の窓は、外に鉄製、内側にガラスの二重窓。見学は外観だけ。    松の老木越しに見える煙突は、高さ37.5m 昭和14年鉄筋コンクリート。下の建物は乾燥場かな?
 
日本伝統の「座繰り」の体験。右手で繭を転がして糸を絡めて右手の糸枠に巻き取る。
祖母がこの糸繰りをする姿は記憶に残る。
   明治5年300釜のフランス式糸繰機が導入された。当時の機械を復元し岡谷市から寄贈。
原理は日本と同じように見えるが?
 
操糸場。明治5年建築。ながさ10.5m、巾12.3m 、高さ12.1m。日本になかったトラス構造という小屋組みが用いられ、採光のために多数の窓にはフランス輸入のガラスが、屋根には蒸気抜きが設けられている。
 
昭和40年以降に設置された自動操糸機が、ビニールの覆いをかぶって、両側にずらりと並んでいる 。何台?    創業当時。(昭和13年発行小学国史)袴姿に襷掛けの女工達は全国から集められ、後に指導者として各地に散っていく。
 
 女工館。明治6年建築。木骨煉瓦造。操糸技術を教えために雇われたフランス人女性教師の住宅。鎧戸、ベランダも見える。    ブリュナ館。指導に雇われたフランス人ポール・ブリュナ一家の住居。広さ320坪の高床式後に工女(女工に非ず)の夜学校などに転用
 
 検査人館。明治6年建築。木骨煉瓦造り二階建てベランダ付き。生糸の検査を担当のフランス人の住居。後に事務所として利用。    診療所。昭和15年建築の三代目。当初の診療所はフランス人医師が治療していた。官営時代の治療費は工場持ち。つまりタダ。
 
利根川の支流鏑川。 製糸場の排水は地下の煉瓦造り排水路でこの川に流された由。    見学者を案内するボランティアのガイド。一回りするのはおよそ一時間かかるそうだ。
 個人が勝手に回るのではなく、ガイドに引率されて見学することが本則なのか、順路の案内もなく、建物の配置図もない。内部の公開は操糸場のみ。見学料の500円は高くはないかという声も聞こえた。高いとは思わないが公開の方法には一考を要する。  
 世界遺産候補は「製糸場と絹産業遺産群」で、近隣に点在する養蚕農家の原型という「田島弥平旧宅」、近代養蚕法を開発した「高山社跡」、それに自然の冷気を利用した日本最大の蚕種貯蔵施設の「荒船風穴」を指すそうだが、そこまでは見学しなかった。
この後、高崎に戻って安中に向かった。安中でコーヒーで一休みしていると、中年の男が話しかけてきた。その中で、製糸場の維持管理に富岡市は2000万円使っているそうで、市民の中には世界遺産登録を疑問視する人もいるなどと話していた。
建物そのものを見ても、必ずしも驚嘆する程ではないと思う。日本の近代産業史の中で とらえないと文化遺産としての値打ちは捉えられないだろう。諸外国の人がこれをどう見るだろうか。

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