深大寺を訪う
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深大寺周辺は武蔵野段丘の辺縁に位置するので、あちこちの崖下からは豊富なわき水が流れ出ている。今も使える水車も廻っていた。 | |||
天台宗別格大本山浮岳山昌楽院深大寺は、寺伝によると、満功上人が天平5年(733)深大寺を開創、清和天皇の貞観年中(860年頃)、大楽大師によりそれまでの法相宗を改め天台の法流をくみ、さらには天台密教の一流である仏頂流を伝承し、東国第一の密教道場となった、とある。 | |||
木立に蔽われた深大寺の参道。深大寺蕎麦の幟がはためく。 | 深大寺山門。茅葺屋根がいかにも古刹にふさわしい感じがする。和様を主調とした門の由。 | ||
本堂。幕末に焼失、大正期に再建。正面の唐破風が重たげに。本尊は阿弥陀如来像。 | 高浜虚子(1874-1959胸像。 俳誌「ホトトギス」を主宰し秋桜子、草田男、風生ら多くの俳人を輩出。 | ||
遠山に日の當りたる枯野哉 虚子 | 萬緑の中や吾子の歯生え初むる 草田男 | ||
元三大師堂。慈恵大師(元三大師)像を安置。 河鍋曉斎が描いた「龍」の天井画があるそうだ。 |
象潟や |
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延命地蔵。昭和41年象潟港工事の際、海底の大石を引き上げたところ、慈覚大師自刻の延命観音が刻まれてあり、深大寺に奉安さる。 | 開山堂。本尊に薬師如来、脇侍に弥勒菩薩千手観音を安置、開基満功上人、天台宗一祖契惠亮和尚の尊像を祀る。 | ||
吹起る秋風鶴を歩ましむ 石田波郷 | 草や木や十一月の深大寺 星野麦丘人 | ||
中西悟堂(1895―1984)は、この寺で得度、僧籍につく。日本野鳥の会を設立し初代会長となり、日本における野鳥の研究・保護の礎を築いく。詩人、歌人でもある。 | |||
石田波鄕(1913-1969)墓。水原秋桜子に師事。馬酔木同人。「鶴」を主宰、朝日新聞俳壇の選者。 | 神代植物園入り口。残念なことにこの日は祝日の翌日で休園日。柵から覗いただけ。 | ||
参詣者は中年以降のご婦人連が多かった。 | 「そば守観音」そば=蕎麦かな。 | ||
基壇上には反響用の瓶を埋め、多孔の鉄板をかぶせる。今11時30分、大きな音で響き渡った。 | 不動堂。 2010年のNHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」はここなど深大寺でもロケが行われたそうだ。 | ||
元祖嶋田家。門前の文久年間創業の蕎麦屋。 お向かいもはす向かいも蕎麦屋さん。 |
お薦めの三味そば精進揚げ「むさしの」1700円 。 美味しかったよ。 |
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さらさらと土間の中にも三鷹川浅く流るる島田屋の秋 武蔵野の秋を探つてよく三鷹の深大寺に行かれたことがある。まだバスなどのない時分で、境から歩いて行つたのである。深大寺は余程古い寺でもあり、その環境もよかつた。当時は人も行かず、ゆつくり秋の心を楽しませることが出来た。島田屋はその門前にある農家の兼ねた蕎麦屋で手打ち蕎麦を食べさせたさうである、先生達はよくそこへ行かれた。……その大きな構への家の中を、直ぐこの境内に湧き出た許りの水量の頗る豊富な三鷹川―作者の命名ではないか―が流れてゐる光景である。再び島田屋の蕎麦の食べられる日がいつ廻つて来ることだらう。 …… (平野萬里「晶子鑑賞」)」 |
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「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるが1959年に住居を構えて調布市民となった縁で、調布では鬼太郎で街おこしに取り組み、鬼太郎や一反木綿などのオブジェがある商店街、街路灯の上にも鬼太郎がと各所に鬼太郎などが鎮座。鳥取県境港で行われている妖怪検定を調布市でも実施を始め、深大寺門前に鬼太郎茶屋を開設。この日は休業日、窓から覗くと鬼太郎関連の品々が販売されているようだ。 | |||
いろいろな施設が月曜日が休館という処が多いが、祝日の翌日も休館も多いということに留意しないと、今回の旅のように計画が狂ってしまう。ご用心ご用心。 |