上田の真田ゆかりの地へ1  ~ 上田城

第一次、第二次の上田戦争で押し寄せた徳川の大軍にも守り切った真田の上田城(尼ケ淵城)。天下の名城は千曲川の支流に沿った平城。それほど立地条件に恵まれた地とも思えず。堀と土塁が取り巻くだけ。
 
JR・しなの鉄道・上田電鉄別所線の上田駅。    駅前で真田幸村の若き日の騎馬像がお出迎え。
 
友好交流都市の中国寧波市から贈られた獅子像。     駅前の大きな水車が回っていた。説明も何もない。
 国指定史跡上田城は天象11年(1583)、真田昌幸により築城された平城。川と山に囲まれた天然の要害。
天正13年、昌幸は家康の命に従わず押し寄せた徳川8千の軍勢にも、慶長5年、関ヶ原の合戦で豊臣方について秀忠2万5千の軍勢の西上を阻止して「天下の名城」としてうたわれた。(案内板抜粋) 
 
二の丸橋から堀跡を見下ろす。今は遊歩道のようだ。内側に欅、外側に桜並木が続く。  
 
二の丸の先に東虎口の門と南北の櫓が見える。   南櫓と櫓門。 関ヶ原の後、城は徹底的に破壊される
 
現存の隅櫓や石垣は仙石氏による。真田幸村と十勇士に扮したおもてなし隊が観光客をお迎え。   真田石。信之が父の形見にと松代へ運ぼうとしたが微動もしなかった。
 
真田神社。真田昌幸、幸村父子を主神とし、真田のあとの仙石、松平の歴代藩主を祭神とする。   赤備えの兜。大阪夏の陣の真田軍は武具を赤に揃えたという。幸村の兜の大きな鉄製の模造品。 
 
真田井戸。本丸唯一の井戸。抜け穴があったとも。    西櫓。この日はツアの一団が説明を聞いていた。 
 
 本丸北東の角には鬼門除けの「隅おとし」が。    本丸東側の深い堀。
 
 猿飛佐助の木彫が観光客を待ち受ける。   上田市観光会館。案内、土産、休憩も。
 
真田十勇士が街角に。三好伊三入道。大男で怪力    三吉清海入道 。伊三の兄。太い樫の棒で戦う。
 
霧隠才蔵。伊賀流忍者。他の勇士もどこかに?    大河ドラマ「真田丸」放映決定。署名64万余とある。
 
やはり信州蕎麦で昼食。 「生蕎麦 塩田屋」    どこか懐かしいおいしさ。野沢菜の油いためも。 
上田城の二の丸では来年1月17日「真田丸」大河ドラマ館が開館予定。  

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