晩秋の上野公園をあちこちと  その1

十数年来の調査研究の資料に当たるため、久しぶりで国会図書館に行った。7月頃からはたくさんの利用者が詰めかけていて、資料閲覧を申し込んでも、手にするまで30分から40分程待たされるのに、この日はなんだか閑散としていて、待ち時間が少なく拍子抜けの有様で、予定の課題も早く終わった。館内の食堂で430円の掻き揚げ蕎麦を食べる。勿論値段並みの味。その足で、竹橋の国立近代美術館に寄ってから、上野公園にある国際こども図書館に行った。その行き帰りの通りすがら、公園内をちょっと回り道をしてみた。
 
 国立国会図書館。蔵書数950万、雑誌930万、新聞、レコー・CD、地図……。関西館、こども館も別のある。   図書館と道路一本を挟んだ向かいは国会議事堂。なんだか難しい論戦だか非難合戦だかしているようです。
 永田町から九段下で乗り換え竹橋へ。ここの国立近代美術館の展示には目もくれず資料館で探索中の「むれ星」を探したが見あたらず。日本橋で乗り換えて上野駅まで行く。地下鉄は切符を買うのも面倒で田舎者には苦手な乗り物だったが、今はPASMO一枚で事が済むので安心できる。公園口から、上野恩賜公園へ足を運ぶ。
 上野公園は、1965年ツタンカーメン展を見に来たのが初めてかな? 国立博物館に3度、動物園に同じく3度ほど来たことはあるが、いつも会場直通で、今回は図書館の行き帰りにちょっと回り道をしてみた。
 上野恩賜公園は総面積約53万m²。かつて宮内省の管轄から東京都に払い下げられたので「恩賜」の2字が挟まる。公園には芸大を始め高校や中学もあり、美術館や博物館など10余、それに野球場まであるのだそうだ。
 
 国立西洋美術館。画家アルブレヒト・デューラーの企画展中。中世独逸の作家だって。知らないなあ。   前庭の像をいくつか見て素通り。
 オーギュスト・ロダン「地獄の門」
 
 オーギュスト・ロダン「カレーの市民」    オーギュスト・ロダン「考える人(拡大作)」
 
 国立科学博物館。「空と宇宙展」や「あしたのごはんのために」などの企画展開催中ですが私は素通り。    科学博物館前の深い木立の中に野口英世が試験管を掲げて見つめていた。訪ねる人も少なくその面差しは?
 
 国立博物館。「東大寺大仏―天平の至宝―」 開催中。
平成館、法隆寺宝物館、庭園と茶室などもあるとか。
   旧因州池田屋敷表門。鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門。時代劇の門とは桁違いの豪壮な門。垣根の外から。
 
 国際子ども図書館。児童書30万冊余。お目当ての「土田耕平童話集」はあったが、複写はできないそうだ。   図書館前の噴水の子どもの天使像の下の「小泉八雲先生」像に水が、夏はいいが冬は……。マウスを画像に 
 東叡山寛永寺は徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門にあたる上野の台地に寛永2年(1625)慈眼大師天海大僧正が創建。
 最盛期には寺域は現在の上野公園を中心に約三十万五千坪に及び、根本中堂、本寺、清水観音堂、不忍池辯天堂、五重塔、開山堂、大仏殿などのほか子院も各大名の寄進により三十六坊を数え、徳川将軍家の菩提寺も兼ねて歴代将軍の霊廟も造営された。
 しかし、幕末の戊辰戦争では、境内に彰義隊がたてこもって戦場と化し、官軍の放った火によって、全山の伽藍の大部分が灰燼に帰した。(「寛永寺の歴史」要約抜粋)
 
 寛永寺本堂(根本中堂)彰義隊の兵火でやけ、川越喜多院の本地堂を移築した。   尾形乾山墓碑と深省蹟(顕彰碑)。江戸時代の陶工、絵師。尾形光琳の弟。
 
 寛永寺墓地の谷中霊園に、徳川慶喜夫妻の墓地があった。左慶喜、右夫人美賀子。前面中央に顕彰碑。    慶喜の墓の傍に、徳川慶喜の十男で勝海舟の孫伊代子の婿養子となり、勝家を継いだ勝精と伊代子の墓。

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