ご招待で鷲倉温泉を再訪 鏡石に立ち寄る

日本秘湯を守る会」に属する温泉宿に泊まる毎にスタンプを一つ埋めてくれる。それが10こ溜まると、泊まった宿のうちから一カ所無料ご招待という特典がある。その特典によって、吾妻連峰の最も高い所にある鷲倉温泉へ出かけた。紅葉の時期には遅かったし、天気もよくはなかったが、温かな温泉と暖かな宿のもてなしに満足。

秘湯といっても、3時間もかからずに行けるので、途中、鏡石町という所に、芭蕉のおくのほそ道の足跡と、文部省唱歌「牧場の朝」のモデルとなった牧場に足を運んだ。
鏡石町は、福島県の中央南部に位置し、奥州街道筋に当たる。北は須賀川に接し、東には芭蕉が足を運んだ乙字の滝のある阿武隈川が流れる。白河から北上した芭蕉は、この地を訪れた。
「とかくして越行くまゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇物影うつらず。」(おくほほそ道)


鏡石駅に降り立つと、風車が出迎える。
”「牧場の朝」のまち鏡石”とある。



駅舎の脇には可愛らしい風車と乳牛像が待っていたが、まずは鏡沼(かげ沼)へ。


駅から4kmほど走ると、あたりは刈り入れの終わった広い水田地帯。


水田地帯の一画の小さな公園に4坪ほどのささやかな沼があった。「鏡沼跡」とある


鎌倉時代、和田胤長は北条討伐の謀反に加担しこの地に配流のあと処刑された。妻は夫の安否を尋ねて来たが夫の死を聞かされて、鏡を抱いてこの沼に入水。以来鏡沼と呼ばれるそうだ。別名「かげ沼」


この沼には昔はもっと広かったのだろう。ここは蜃気楼が起きると言われ、折角尋ねてきた芭蕉も「かげ沼という所をいくに、今日は空曇りて物影うつらず」と、期待外れ。がっかりして腰を下ろす?芭蕉と曽良
岩瀬牧場」は明治13年に宮内省の事業として開拓したのが始まりで、明治23年には宮内庁御料牧場から民間に払い下げられた。明治40年、オランダからホルスタイン種牛13頭を輸入して、欧米式大型酪農経営が始められた。今日でも酪農が続けられている。


駅から2kmほど、あちこちにポプラ並木が散見するうちに、道路の両側に牧場が拡がっていた。面積は33haだって。


玉蜀黍貯蔵所。明治初年の建物。湿気と小動物の侵入を防ぐために、高床式で、通風のために格子壁になっている。


牧舎内部。中央には駅までつながっていたトロッコレールが走っている。


現役の牧舎


クヌギの立木に作ったツリーハウス。子供達に自然とふれあうようにと作った由。


度食事時というので、牧舎から続々餌を食べに出てきた。全部で何頭?


文部省唱歌「牧場の朝」は作詞した杉村楚人冠が、明治43年この牧場の訪れた時のイメージから作られた。


ただ一面に立ちこめた 牧場の朝のきりの海
ポプラ並木のうっすりと……


鐘が鳴る鳴るかんかんと」オランダから寄贈された鐘。作業開始などを知らせた。


旧事務所に設けた資料館。「鐘」もここに保管されている。


イギリスから輸入されたトラクター。当時の金額は2500円(60坪の立派な家20数軒分の建築費)


広いフラワーガーデン、レストラン、ポニー乗馬、パターゴルフなど、観光牧場の施設が整っている。

鷲倉温泉へ

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