早春の渡良瀬遊水池 

暖かな陽気に誘われて、久しぶりに渡良瀬遊水池へ春を探しに行って来た。ここは利根川の支流、渡良瀬川を挟んで広がる洪水予防の遊水池だが、本州最大の湿原が広がり、あまたの野鳥や珍しい植物などが見られるラムサール条約登録湿地である。
また、明治のころ、渡良瀬上流の足尾銅山から流れ出た鉱毒に侵され、様々な被害を受けた住民達の最後の拠点にもなった谷中村跡も包含する。
遊水池を茨城、栃木から群馬、埼玉へと縦断して、ただ眼についた光景を何枚か並べてみた。
 
 こんな看板を設置しなければならないのが日本の現実。でも看板でゴミの放擲がなくなればいいけれど、ペットボトルや粗大ゴミ……、いつの世になったら無くなるのだろうか。
 
 ここは野鳥の宝庫。でも、この日は収穫はなさそうです。野鳥のアルバムを見せていた。自慢話?    ほとんど干上がった池には遠くに数匹の水鳥がいるばかり。みんなもう渡っていったのだろうか。
 
時季外れが、見かけた鳥影も少なかった。カメラが捕らえたこの鳥、図鑑で調べても確かな名前がわからない。左の鳥は膨らんだネコヤナギの花穂を啄んでいるようだ。右は猛禽類かな?  
 
木立も春の準備を進めてはいるのだろうが、見た目には気配も感じられない。   この日見かけた数少ない釣り人。鮒か鯉か、釣果は如何に? 
 
来月15日には、遊水池の各所でヨシ焼きが行われる。害虫駆除や湿地の樹木化防止の為の由。     「氷解け去り葦は角ぐむ…」さてどうかと根元をかき分けて見たが、角ぐむはまだまだ先のようだ。
 
 2006年の葭焼き風景。 今年の計画は渡良瀬遊水地公式ホームページ で確認を。
 450戸の谷中村は、買収供応脅迫、様々な追い出しで、段々少なくなり最後まで残った16戸も、1907年、住んでいる家屋を強制破壊までして父祖の地を追い出され廃村とされた旧村民達の怨念の地。
大鹿卓『谷中村事件  ある野人の記録  田中正造伝』にこの経緯は詳しく描かれる。        
 
谷中村遺跡。延命院共同墓地。足尾鉱毒事件で強制買収され廃寺となった。「谷中村事件の唯一の生き証人」  墓石には天明、文化、文政などの年号が刻まれている。新しい香炉、供えられたばかりの花。
 
 村民の屋敷跡。葭に覆われて、形跡もわからぬ。
道路に沿って、何軒かの同様の碑が建っている。
   谷中村役場・村長宅跡。洪水を避けて周りの土を掘り上げて高台に家屋が建てられていた。
 
 子ども広場ゾーンでは親子連れが一組だけ遊んでいた。自然観察ゾーンは無人だった。    遠くの水面はウインドサーフィン、ヨット用だが、今日は一隻も見えない。
遊水池内にはゴルフ場2面、野球、サッカー場など、運動場が5カ所ある。まだまだ何か作るのかな?  
 
 ウォッチングタワーから、「ヨシ原浄化施設」を見下ろす。ヨシ原に水を通して「浄化」するそうだ。    遊水池西端の堤防から遊水池を見下ろす。天気により41km先の筑波山が正面に見えるのだが。
 
決潰口跡。1947年カスリーン台風の大雨で遊水池の堤防13カ所が決潰し、多大の被害を受ける。    渡良瀬川を挟んで手前が埼玉の久喜市、向こうが茨城の古河市、つなぐ橋が三国橋。
走行距離17km、遊水池をごく僅かを眺めてきた。あまり手を入れることなく、貴重な湿地を守り続けていってほしいものだ。老骨の足は疲れたが、早春の風は実に心地よかった。 

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